2023/06/27 更新
 雨晴駅は1912(明治45)年4月4日に中越鉄道の伏木−島尾間開通時に開設された。当時は越中国分駅は無かった。ホームは相対式で駅舎前が
氷見方面、構内踏切を渡って反対側が高岡行きとなっている。
 駅近くには頼朝に追われ、奥州へ落ち延びる義経と弁慶が雨宿りをしたと伝えられる義経岩(雨晴岩)があり、駅名の由来となっている。雨晴という
地名は無いが、駅の他に雨晴郵便局、雨晴海岸、雨晴キャンプ場に雨晴の名称が付けられている。小学校や保育所消防分署には地名の太田が付けられ
ている。
雨晴海岸は、富山県高岡市北部の海岸で能登半島国定公園に含まれ、日本の渚百選に選ばれている。万葉集歌で大伴家持が「馬並べて いざ打ち行
かな 渋谷の 清き磯廻(いそま)に 寄する波見に」と詠んだ雨晴海岸は岩礁多く白砂青松の景勝地。晴れた日には富山湾越しに3000m級の立山
連峰を望むことができる。また、源義経が奥州へ落ちのびる途中、にわか雨の晴れるのを待ったという「義経岩」があり、地名「雨晴」の由来ともな
っている。特に元旦には、初日の出を見るために多くの人が集まる。冬晴れの休日は早朝から多くのアマチュアカメラマンが集まる。 
 2018年4月25日に道の駅「雨晴」がオープンして、更に多くの人が訪れるようになった。 道の駅は鉄筋コンクリート3階建てで客船を模し
たデザインになっている。カフェスタイルの飲食スペースでは、国名勝・雨晴海岸をイメージしたスイーツや地場産食材をふんだんに使用したパスタ
などを提供する。雨晴海岸や立山連峰を眺めることができる展望台や高岡の伝統工芸品の販売スペースもある。
 前を通過する氷見線列車を展望デッキから撮影することができる。高岡市と氷見市を結ぶJR氷見線の越中国分−雨晴間は雨晴海岸に沿って走るた
め車窓からの眺めも良い。また海岸線のすぐ横を通る列車の撮影ポイントとして、鉄道ファンにも人気があり、青春18きっぷの販促ポスターに採用
されたこともある。
 雨晴から氷見までには海水浴場が多くあり雨晴に松太枝浜、島尾に松田江浜がある。1970年以前は氷見線列車のデッキから溢れんばかりの海水
浴客を運んだが、今はワンボックスカーで訪れ、着替えも車内で行うようになり浜茶屋が姿を消した。
 6月から7月にかけて海岸にはハマナスやハマヒルガオが咲き、松田江浜ではハマヒルガオの群生が見られる。高岡市雨晴マリーナから松太枝浜海
水浴場にはアツバキミガヨランの群生も見られる。
 道の駅「雨晴」から海岸を離れ氷見へ向かう国道415号線沿いに雨晴温泉磯はなび、櫻谷古墳、重要文化財武田家がある。武田家は、甲斐の武田
信玄の弟逍遥見信綱の子孫と伝えられており、代々太田村の肝煎を務め高300石といわれた豪農であった。武田家住宅は、約230年前に建てられ
た豪農住宅そのままの姿を現在に伝え、1971(昭和46年)に国の重要文化財に指定されている。


客船を模したデザインの道の駅「雨晴」

道の駅「雨晴」のカフェスタイルの飲食スペース

客船を模したデザインの道の駅「雨晴」

道の駅「雨晴」のカフェスタイルの飲食スペース

道の駅「雨晴」の2階展望デッキから義経岩

道の駅「雨晴」の3階展望デッキからキハ40形氷見行き列車

道の駅「雨晴」付近の国道415号線から女岩(めいわ)

加越能バス岩崎バス停

道の駅「雨晴」の3階展望デッキから氷見行き列車と義経岩

雨晴駅の記念撮影用パネル  日の出と気嵐

国道415号線から剱岳と立山

道の駅「雨晴」−氷見線雨晴駅間の撮影スポットから立山連峰

雨晴駅付近から女岩越しの立山連峰

道の駅「雨晴」−氷見線雨晴駅間の撮影スポットから剱岳

雨晴駅の記念撮影用パネル

雨晴駅付近から氷見阿尾城跡と阿尾の浦温泉

雨晴太田漁港

高岡市雨晴マリーナ

松太枝浜海水浴場  アツバキミガヨランの群生

松太枝浜海水浴場から新湊大橋・雨晴マリーナ

国道415号線沿いの櫻谷2号古墳

豪農の館 重要文化財武田家

背後の山を利用した武田家の庭園

武田家住宅の解説板                1920 X 1080

二上山万葉ラインから雨晴温泉 磯はなび

雨晴温泉 磯はなび宴会場から太田漁港・雨晴マリーナ

国道415号線沿い、つまま公園(ポケットパーク)

伏木側から義経岩

義経岩から能登半島

雨晴マリーナ管理棟

雨晴マリーナから氷見阿尾の浦温泉

雨晴マリーナから松田江浜海水浴場

雨晴海岸のカルガモ

雨晴海岸のオオセグロカモメ

雨晴海岸のオオセグロカモメ 幼鳥

雨晴海岸のハマナスの花

雨晴海岸のハマナスの実

雨晴海岸のハマヒルガオ