2023/07/15  更新
 戸出駅は中越鉄道の黒田−福野間が開通した1897(明治30)年5月4日に開業した。この駅は戸出町の表玄関として多くの人々に利用されてき
たが、戸出町は1966(昭和41)年に高岡市と合併して町の表玄関の役割は終えた。高岡から城端に向かって走ると左側に工場群が続く。戸出高岡
銅器団地、藤沢薬品工業と続く。
 駅から700mくらいのところに富山県立高岡南高校がある。高岡の市街地から通学する生徒が多く、戸出駅利用客の大部分を高岡南高校の生徒が
占める。JR西日本が越中中川駅などとともに駅の無人化を打ち出したが、両駅とも高校生の利用が多いことから自治体(高岡市)地元住民が戸出駅利
用促進協議会を結成し共に簡易委託駅となった

 駅舎は1897(明治30)年の中越鉄道開業からのもので福野駅、城端駅とともに富山県では最も古い駅舎となっている。駅前にはオリジナルジ
ェラートなどを販売する戸出ジェラートがある。
 毎年7月3日から7月7日まで戸出七夕まつりが行われる。戸出七夕まつりは、大小400本の七夕飾りが「七夕のトンネル」として旧北陸道の通
りを飾り、夜には提灯に明かりが灯り、幻想的な雰囲気を醸し出し、「日本一美しい七夕まつり」とも言われている。見どころは住民手作りによる七
夕飾りで、デザイン、仕掛け飾り、大あんどんなど全てに住民の知恵を感じることができるもので、福岡のつくりもんまつりや中田のかかし祭りのよ
うにコンテストが行われる。
 旧北陸道は高岡開町以前は戸出、中田を通り富山へと抜けていた。街道から外れた出町(砺波市中心部)は寒村だったが、中越鉄道(城端線)開通に
より
発展した。北陸道が福岡−高岡−小杉ルートに移った後も、藩主が領地見回りや鷹狩りなどで使用する御旅屋が設けられていた。御旅屋跡に高野
槙の大木が残っている。御旅屋にあった御旅屋門は曹洞宗永安寺に移された後、更に戸出コミュニティーセンター前に移築され、修復された。曹洞宗
永安寺には、松尾芭蕉の句碑・甍塚がある。

 浄土真宗大谷派の中野山正楽寺は室町時代の創建で蓮如上人弟子の法円が開いたと伝えられている。正楽寺の梵鐘は江戸時代初期に鋳造された貴重
なものとされている。永安寺の前身である海雲寺は室町時代に開かれた寺院で、江戸期以前は戸出が富山県西部の中心だったことがうかがえる。
 戸出野神社は伏木の能登屋三右衛門が寄進した大鳥居で知られる。毎年10月には、1697年から続く幌武者行列が例祭として行われており、戸出
に縁のある歴史上の人物に扮した子供が町を練り歩く。
 戸出は砺波や入善とともにチューリップ栽培が盛んで、是戸、醍醐、西部金屋など各地区で栽培されている。近年は球根の他、切り花としても出荷
されている。

開業以来使われている戸出駅舎

到着するキハ47-1092+キハ47-27城端行き

駅前の戸出ジェラート 観光案内所

富山県立高岡南高校

旧北陸道 戸出中田往来 高岡の町が出来る前は、ここがメインルート

城端線の踏切名に残る戸出中田往来

旧北陸道の御旅屋門

御旅屋門は戸出コミュニティセンター前に移築されている

戸出野神社

御旅屋門があった曹洞宗海雲山永安寺

浄土真宗大谷派の古刹 中野山正楽寺 創建は室町時代

永安寺の芭蕉句碑・甍塚

戸出醍醐地区のチューリップ畑

戸出醍醐地区のチューリップ畑

戸出七夕まつりイベント会場の高岡商工会

戸出七夕まつりの七夕飾り

戸出七夕まつりの七夕飾り

戸出七夕まつりの七夕飾り

戸出七夕まつりの七夕飾り

駅前通り県道253号線・戸出停車場線の七夕飾り

七夕まつりの戸出中田往来踏切

御旅屋跡の高野槙の大木

戸出醍醐地区のチューリップ畑