最終更新日:2017/01/13
最終取材日:2016/11/21

こうかんどうまえ
路線:富山地方鉄道市内軌道線
西中野 ← 広貫堂前 → 上本町
所在地:富山県富山市中野新

南富山駅前方面電停

停車中のデ7018大学前行き
 製薬会社広貫堂の近くにある電停で、ホーム(安全島)は中野新町交差
点を挟んで千鳥配置になっている。広貫堂は電停の東側約200mの所
にあり本社、資料館、工場がある。軌道線の駅名は開業時から変わって
いるものが多いが、1913年9月1日の開業時から広貫堂前だった。
 株式会社広貫堂は旧富山藩の『反魂丹役所』を引き継いで1876
(明治9)年に『富山広貫堂』として創設され以来130余り和漢薬を中
心に製造して全国に配置した。現在は新工場で家庭用配置薬(とやまの
売薬)の他、医療用医薬品や薬局・薬店で販売する一般用医薬品、医薬
部外品の栄養ドリンクなどを製造販売している。
 「越中とやまの薬」300年の歴史を伝える資料館には観光バスで見
学者が訪れる。見学時間は9時から17時までで入場料は無料だが10
名以上の団体の場合は広貫堂へ事前に申し込む必要がある。電話、FA
Xの他、広貫堂のホームページから直接申し込むこともできる。ゴール
デンウイークや夏休みに運行される富山市定期観光バスや観光タクシー
のコースに入っている。資料館の隣に
日蓮宗立像寺がある。
 広貫堂の向側に、記念碑「富山薬学教育発祥之地」がある。これは、
1965(昭和40)年10月、富山大学薬学部創立75周年(75周年
は1967年)を記念して建立されたもので、奥田に所在した旧富山薬
学校の門柱の一つが用いられている。
  
 この場所には富山市の補助金や、広貫堂をはじめ多数の有志の寄付金
により1893(明治26)年創立
明治27年2月1日に開校した、共
立富山薬学校があった。富山大学薬学部は1893年創立としている。
 門柱の文字は50年余り経過して文字の一部が欠けているが「薬」の
文字は蘭学者や漢方医が使った略字「茉」が使われている。
 中野新町交差点を少し西町側へ行くと旧飛騨街道起点と太田口通り商
店街の標識が立っている。電停付近の標柱は実際の起点5ではなく、平
和通り側の大田口通り商店街入口付近に同じ標柱があり、こちらは金属
製のプレートに「飛騨高山まで21里(82.km)」と記されている。
 太田口通り商店街は旧飛騨街道の一部で昔の面影が残っている。
 大学前方面電停前に富山市最古の神社と言われている越中白山神社が
ある。神社の北側中野新町交差点角に富山信用金庫中野支店があったが
大泉支店と統合して廃止され、跡地は社交ダンス教室になっている。
 
南富山駅前方面電停前にビル管理のホクタテ本社があり、その裏に銭
湯「星の湯」、博仁会横田病院がある。その向かい側の星井町公園に市
立星井町公民館と市立星井町庭球場がある。
 横田病院から上本町側へ行くと真言宗福畠山来迎寺がある。この寺の
本堂は変わっている、福畠山は、元は呉羽の福畠地区にあったのが、後
に富山藩初代藩主前田利次に招かれ中野に移った。寺には鎌倉から戦国
時代の文化財が伝わっている。

発車したデ8004南富山駅前行き

広貫堂の本社と資料館の入口

広貫堂の本社工場

銭湯「星の湯」

ホームから西中野駅方向

ホームから上本町駅方向

大学前方面駅名標

大学前方面駅名標下の路線図

大学前方面駅名標下の時刻表

南富山駅前方面駅名標

大学前方面電停

大学前方面電停

横断歩道を女の子が渡る

T101車内後部から電停  南富山駅前方向

太田口通り入口

博仁会横田病院

広貫堂本社

広貫堂本社と資料館入口の案内板

富山薬学教育発祥之地の門柱

横田病院とホクタテ本社

越中白山神社

日蓮宗立像寺

真言宗 福畠山 来迎寺

星井町公園

電停近くの旧飛騨街道起点の標柱

富山薬学教育発祥之地の門柱

門柱 明治26年8月設立

門柱 昭和43年10月建立

広貫堂資料館

中野新町交差点から広貫堂側

中野新町交差点から国道41号側

市立星井町公民館

市立星井町庭球場(テニスコート)

到着するT102
南富山駅前行き

到着するデ8001南富山駅前行き

発車したデ7017大学前行き

通過したデ8005南富山駅前行き

発車したデ7020富山駅行き

停車中のデ7023南富山駅前行き

デ7018大学前行きとデ7023南富山駅前行き

停車中のデ7019南富山駅前行き

発車したデ8004南富山駅前行き