2020/09/04 更新

JR金沢駅東口から北陸鉄道バスで10分。路線は3番乗り場から金沢周遊バス、6番乗り場から90番台バスで運賃は200円。
土曜・日曜・祝日に兼六園シャトルバスを6番乗り場から運行、運賃は休日のみ100円。北鉄野町駅前から15系統辰巳丘高校行き、小立野大学病院行きで200円。いずれのバスも「城下まち金沢周遊専用1日フリー乗車券」500円も利用可能 兼六園下バス停下車。
上記のほか、香林坊経由バスで南町下車、尾山神社境内を通り東神門から石川県体育館前を通り坂を上る。

 
 金沢城公園は加賀百万石の前田氏の居城であった金沢城址を公園化したもので、明治維新以後はここに陸軍第9師団司令部が置かれ、終戦後も金沢大学の校舎が建てられたため、長らく市民に開放されなかった。市民の公園となったのは金沢大学が角間キャンパスへ移転してからである。
 金沢城は、加賀藩主前田氏の居城で、金沢平野のほぼ中央を流れる犀川と浅野川とに挟まれ、小立野台地の先端に位置している。明治維新時には多くの建物が残っていたが1881(明治14)年に火災に見舞われ、石川門、三十間長屋、鶴丸倉庫を残して焼失した。1898(明治14)年から陸軍第9師団司令部が金沢城址に置かれ第二次世界大戦が終わるまで存続、1949(昭和24)年から1995(平成7)年まで金沢大学の校舎が建っていた。
 大学移転後2001(平成13)年から金沢城の復元整備事業第1期工事により、菱櫓、橋詰門、橋詰、門続櫓五十間長屋が復元され金沢城址公園として整備された。その後現在の金沢城公園に改称された。
 2006(平成18)年石川県と金沢市は、金沢城を中心とする城下町金沢の文化遺産群と文化的景観」の世界遺産(文化遺産)への登録を目指し「世界遺産暫定一覧表への記載を国に共同提案したが、継続審議が適当とされ追加記載には至っていない。
 典型的な平山城で、櫓を多用した構造になっている。瓦には冬の積雪に耐えられるように軽量であり、有事には鉄砲弾にもなる鉛瓦が用いられた。鉛瓦は焼失を免れた石川門や、二代藩主利長が隠居した富山県高岡市にある国宝瑞龍寺仏殿に残っている。復元された建物も鉛瓦で葺かれている。
 金沢城には本丸、二の丸、三の丸などがあったが1602(慶長7)年に落雷により天守閣や三階櫓が焼失した
天守閣の焼失後は江戸幕府への配慮もあって、二の丸御殿を藩主の居所とし、天守閣は再建されなかった。
 金沢城の西の端、合同庁舎交差点付近に尾山神社東神門があり、尾山神社境内へ入ることができる。尾山神社は藩祖前田利家を主祭神とし、正室お松の方を合祀する。江戸幕府への配慮から明治までは八幡宮となっていた。
 現在の社殿は1873(明治6)年に旧金谷御殿の跡地である現在地に新築された。拝殿や庭園は金谷御殿のもので神門はオランダ人ホルトマンが設計した和洋中の3洋式を取り入れた建造物で全国的にも珍しく国指定の重要文化財となっている。 境内には歴代藩主を祀る境内摂社として金谷神社がある。金谷御殿は加賀藩主の別邸で金谷出丸とも呼ばれる。


石川橋から重要文化財石川門

鶴の丸休憩所から五十間長屋

五十間長屋

五十間長屋から石川門と金沢大学付属病院

菱櫓と橋爪橋

五十間長屋入口

五十間長屋の金沢城模型

五十間長屋の骨組み模型

三十間長屋前の紅葉

三十間長屋への極楽橋

三十間長屋

極楽橋と三十間長屋

三十間長屋前

戌亥櫓跡から石川門方向

鶴丸倉庫 文化庁指定重要文化財

鶴丸倉庫 文化庁指定重要文化財

石川門

橋爪門二の門

河北門二の門

橋爪門二の門裏の松の大木

玉泉院丸庭園と玉泉庵

玉泉庵から玉泉院丸庭園

金沢城 色紙短冊積石垣

玉泉庵と北國新聞会館

尾山神社神門  文化庁指定重要文化財

尾山神社拝殿

五十間長屋から金沢大学付属病院

本丸園地の散策路

尾山神社の東神門 文化庁登録有形文化財

尾山神社の前田利家像

尾山神社の前田松像(お松の方像)

尾山神社庭園の池

尾山神社庭園

国道157号線から尾山神社

前田利家像前から尾山神社拝殿

尾山神社の境内社 金谷神社

広坂口交差点を走る北陸鉄道バス

広坂口交差点を走る北陸鉄道かなざわめぐりバス