2022/05/02 更新
 津幡町は石川県中央部の自治体で津幡の地名は、この地域が津幡川と河北潟を行き来する舟の津の端であるのが由来とされる。かつて北陸街道(加賀
藩往還道)の宿場町として栄え本陣が設けられた。津幡を東に向かうと倶利伽羅の山越えが待っていた。
 津幡町は1889(明治22)年4月1日町村制施行に伴い、津幡・清水・加賀爪・庄の各村が合併して発足した。1957(昭和32)年2月1日に
倶利伽羅村を編入している。金沢市のベッドタウンとして人口が増加し、2022年3月31日の推計人口は37,520人となっている。 人口を減
らす市町が多いなか横ばいとなっている。IRいしかわ鉄道の駅は津幡駅と倶利伽羅駅がある
JR七尾線には中津幡、本津幡能瀬の3駅がある。
  富山県との県境の倶利伽羅一帯で1183年6月2日に源氏の木曽義仲と平家の平維盛との倶利伽羅源平合戦が行われた。倶利伽羅源平合戦の最大
のヤマ場は、木曽義仲を勝利に導いた「火牛の計」で、角に松明を付けた牛の大群が、平家軍に突っ込み、数の上で劣勢だった義仲軍が勝利したとさ
れている。史跡の古戦場は隣の富山県小矢部市にある。県境を跨いで倶利伽羅不動寺があり、本堂は津幡町側にある。
 町の中央にある石川県森林公園は11.5kuで津幡町の面積の十分の一を占める広大な自然公園。園内の4つの溜め池を核に各種施設が配置されて
いる。

IRいしかわ鉄道津幡駅

JR西日本七尾線本津幡駅

 津幡駅は国鉄北陸本線が高岡まで開通した1898(明治31)年11月
1日に開業した。2015年3月14日、北陸新幹線金沢延伸開業に伴い
IRいしかわ鉄道の駅となった。現在もJRの「みどりの窓口」が設置さ
れている。
 
 
 

 本津幡駅は1898(明治31年)4月24日に七尾鉄道の津幡仮停車場
として開業した。1900(明治33)年8月2日に七尾鉄道が北陸本線津
幡駅へ乗り入れに際して津幡口仮停車場に改称、翌年廃止となり、移転し
て1902(明治35年)6月25日に現駅名となっている。津幡町の中心
部で付近を旧北陸道が通っていた。
 
 


倶利伽羅不動寺西之坊鳳凰殿

倶利伽羅不動寺入口

 倶利迦羅不動寺の西之坊鳳凰殿は1998(平成10)年10月10日に
竹橋地区に復興された。平安時代の寝殿造りの様式を取り入れた左右75
mの壮大な木造建築。境内にはかつての長楽寺跡を始め、同寺には津幡町
指定の文化財が数多く残っている。
 

 

 倶利迦羅不動寺の創建は、718年(奈良時代)に元正天皇の勅願により、
中国から渡来したインドの高僧、善無畏三蔵法師が倶利迦羅不動明王の姿
をそのまま彫刻し、奉安したのが始まりと伝えられている。一度廃寺とな
ったが、1949(昭和24)年に高野山の金山穆韶大僧正の尽力により、
倶利迦羅不動寺として復興された。
 
 


倶利迦羅不動寺の手向神社

旧北陸道倶利伽羅峠

 倶利迦羅不動寺境内にある手向神社は古くは747年の『万葉集巻17
』、898年の歴史書『日本三代実録』に「手向の神」と記されている。
 手向の神は、不動信仰と習合して長楽寺となっていたが、明治元年の神
仏分離令により長楽寺は廃され、手向神社となった。祭神は神功皇后と素
盞嗚命。
 
 

 津幡町と富山県小矢部市にまたがる「倶利伽羅峠」を越える旧北陸道は
源平合戦の「火牛の計」に関わる史跡や加賀藩の参勤交代のための往還道
など、その歴史的、文化的価値が評価されて、1995年6月に国土交通
省が進める「歴史国道」の全国12箇所の1つとして認定された。199
6年11月には文化庁の「歴史の道百選」にも選ばれている。
 
 


石川県森林公園加茂池

石川県森林公園加茂池に架かる吊橋、加茂池橋

 津幡町北部の丘陵地から三国山にかけて広がる石川県森林公園は、総面
積11.5kuに及ぶ全国屈指の規模を誇る森林公園で東京ドームの246
倍もの広大な森林をそのまま生かし、四季折々の変化に富んだ里山の自然
を楽しむことができる。
 公園は家族団らんの森、スポーツの森、学習の森、散策の森、たんれんの森の5つの森で構成され、各エリアには目的に応じた数々の施設があり
自然学習やスポーツ、キャンプなどさまざまな体験ができる。
 

 園内には、加茂池、御門池を中心に、ツツジ、ワラビ、ドングリ、フキ
ノトウ、ヤマブキ、松葉と名付けられた遊歩道が広がっている。ハイキン
グコースを散策しながら、春の花見や秋の紅葉狩りなど、季節ごとの植物
を観察できる。
 公園の周辺は金沢・富山・能登からの、どの方面からも進入できる道路
網が整備され、園内の所々には案内標識が設置されているが各ゲートに置
かれている案内図を持って行かないと、あまりにも広大で迷うこと確実。
 


石川県森林公園 木曾森林鉄道の機関車

石川県森林公園 木曾森林鉄道の貨車と客車

 石川県森林公園の管理棟付近に、1976年12月に長野県から譲り受
けた木曾森林鉄道の機関車DL140、客車、木材運搬車、緩急車が保存
されている。   ※ 緩急車=車掌車

 

 木材運搬車には当時の森林鉄道を再現して木材が積まれている。機関車
や客車はきれいに塗装し直されている。機関車や客車の扉をあけて、中を
見ることもでる。
 
 


石川県森林公園 加茂池の藤

石川県森林公園御門池

 石川県加茂池改修事業で堰堤が整備され、ボート乗り場も整備された。
堰堤の完成記念碑付近に咲くヤマフジ。

 

 石川県森林公園で最も大きい溜め池で、池の西側はスポーツの森として
整備されている。

 


牛首の木窪大滝

牛首の木窪大滝 シャッター1/5

 石川県森林公園の矢田口から県道221号線を北西に行くと津幡町河合
谷地区の木窪に木窪大滝がある。高さ約15m、幅約7mの津幡町最大の
滝で宝達山系の尾根、5km上流の富山県沢川に源を発し、木窪川に流れ
込んでいる。
 秘境ともいえる、落水の響きや冷気が広がる癒しのスポットとなってい
る。「大滝憩いの広場」には、遊歩道や駐車場などが整備されており、深
い緑に包まれた周辺一帯の散策を満喫できる。

 

 夏休み期間中は流しそうめん、秋には紅葉狩りが楽しめ、毎年1万人を
超える観光客が訪れる。
 大滝の前に立つ東屋から遊歩道を200mほど下流に向かうと、遊歩道
の左手を流れる木窪川に、2mほどの落差を持つ「小滝」がある。201
2年6月に、大滝の手前に喫茶店「大滝荘ポプラ」がオープンした。小矢
部市からは国道471号線を北上し、河合谷で右折して県道74号線を行
くと到達する。
 


新幹線の見える丘公園

新幹線の見える丘公園からE7F15編成

 新幹線の見える丘公園は津幡町字旭山の旭山工業団地内にあり、明神ト
ンネルから杉瀬トンネル間の約1.3kmを見渡せ、 最高速度260km/h
で走る新幹線の通過の様子を約17秒間も眺めることができる人気スポッ
トとなっている。
 1992年に「旭山2号公園」として工業団地内の憩いの場とし造られ
たが北陸新幹線の建設で「隠れた眺望地点」として徐々に話題になり、2
014年7月に公園名を「新幹線の見える丘公園」に改称した。

 

 2014年9月から視界を遮っていた周囲の斜面の樹木を伐採し、10
台分の駐車スペースやトイレや飲料自販機を新たに設置する改修工事を行
い、北陸新幹線金沢開業前の2015年3月4日に一般開放を再開してい
る。
 公園には安全に見物できるように顔の高さを開口した、高さ3mのフェ
ンスを新設し、「ILOVEつばた」のLEDサインを取り付け、展望広
場にある案内看板には北陸新幹線の通過予定時刻(臨時列車を除く)が掲載
されている。
 


白鳥神社

白鳥神社拝殿 拝殿の奥に本殿がある

 津幡町加賀爪にある白鳥神社は、加賀爪の産土神であるばかりでなく、
古くは井家庄の総社として仰がれ、広く崇敬を集めてきました。祭神は日
本武尊を祀り、古くは白鳥大明神と称し、清和天皇時代の876年に神位
を従五位下に授けられた格式高い神社。雨乞いの神社としても有名。
 

 

 神社名の由来は、仲哀天皇の時代にこの地に白鳥が舞い降り、土地の人
々がこれを捕らえて差し上げたところ、天皇は先に日本武尊の魂が白鳥と
なって飛び去ったという話を思い出され、この地は尊の魂のおとどまりに
なった所とお考えになり、お宮を建て白鳥の神と名付けて尊を祀られたと
伝えられている。

 


おやど橋のモニュメントと弘願寺山門

弘願寺本堂

 津幡川左岸のおやど橋手前にある弘願寺は、一向一揆時代には津幡町笠
谷地区の鳥越区にあったが、1580年に織田信長勢の佐久間盛政が能登
の末森城攻略の途中、鳥越弘願寺を陣営にしようとしたが断られたため、
寺を焼き払った。後に津幡町加賀爪に移された。
 かつての宿場町、津幡宿があった旧北陸道沿いに建つ弘願寺は、その当
時、脇本陣的な役割を担っていた。加賀藩前田家の歴代の藩主は本陣御旅
屋に泊まり家臣は弘願寺に泊まったと言われている。
 
 

 1878年には、明治天皇が北陸巡幸の際、弘願寺が昼食休憩所となっ
た。当時の御座所は1880年の火事で焼けてしまい、現在は残っていな
いが、その記念碑が境内に建っている。
 境内から裏手の遊歩道に出ると、おやど橋や対岸の家並みが一望でき、
付近には俳人河合見風宅跡「長寿庵」や、商家「八尾屋」の古民家が残っ
ている。旧北陸道史跡散策のために、山門の前に公衆トイレが設置されて
いる。
  
  


津幡川左岸の御旅屋跡

IR石川鉄道津幡駅の火牛の像(2019年倶利伽羅駅に移設)

 津幡町津幡地区の加賀爪のおやど商店街は、かつての宿場町、津幡宿が
あった旧北陸道沿いにある。当時はおやど橋を中心に、津幡川右岸には茶
屋や木賃宿、馬屋などが立ち並び、対岸の左岸には本陣や旅籠、商家など
が軒を連ねていた。その一角に本陣の御旅屋があったが、1877年の大
火で焼失し、その広大な屋敷跡は残っていない。

 
 

 倶利伽羅源平合戦の最大のヤマ場は、木曽義仲を勝利に導いた「火牛の
計」で、津幡町と、隣接する富山県小矢部市に火牛の像がある。IRいし
かわ鉄道の津幡駅、道の駅「倶利伽羅源平の郷」、小矢部市の古戦場近く
の旧北陸道沿いにあり、倶利伽羅源平の郷の像が最も大きい。津幡町は小
矢部市とともに、木曽義仲と巴御前を主役にした大河ドラマを誘致する活
動を行っている。

 


石川・富山県道286号線天田峠 左は棚田への道

天田峠 奥山田の保存されている棚田

 天田峠の旧国道8号線は1878年の明治天皇の北陸巡幸に際して、当
時の国道だった倶利伽羅峠が急勾配で輿を通す事が出来なかった為、急遽
開かれた峠道である。
 1967年に激増する自動車交通に対応する為、北陸本線の旧トンネル
を改築したくりからトンネルが開通し、国道の峠越えは完全に解消され、
峠越えの道は県道286号線となった。峠に倶利伽羅不動寺の入口があり
参拝客の車と農耕用軽トラが通るだけとなっている。

 

 津幡町の東端、富山県との県境近くの九折地区に日本の棚田百選に選定
された奥山田の棚田がある。
 石川県には津幡町の奥山田・輪島市の白米・志賀町の大笹波の3箇所が
日本の棚田百選に選定されている。この奥山田の棚田は人手不足で管理が
思うようにできず耕作率も下がり、山奥の懐かしい風景を残すために、地
元では努力が続けられているが、棚田のほとんどが自然に返っている。

  
 


奥山田の棚田展望台への道に色とりどりのツツジ

奥山田の棚田展望台から刈安の集落へと続く県道286号線

 県道286号線から奥山田の棚田展望台への道に色とりどりのツツジが
植えられている。
 ここを訪れた2015年5月8日はツツジが満開だった。

 

 奥山田の棚田展望台からは倶利伽羅の集落へと続く旧国道8号線の県道286号線が見える。
 車はほとんど通らず、山菜採りの軽四が駐まっている。
 
 


IRいしかわ鉄道倶利伽羅駅ホームから津幡駅側

IRいしかわ鉄道倶利伽羅駅舎

 IRいしかわ鉄道倶利伽羅駅は刈安の集落から500m旧国道8号線か
ら富山寄りの坂を登った所にある。山の中の小駅で利用者は少ない。北陸
本線の倶利伽羅−石動間は急勾配の難所で、新倶利伽羅トンネルができる
1955(昭和30)年までは石動駅、倶利伽羅駅で後押し用専用のE10
形タンク式蒸気機関車などを列車後部に連結していた。その名残か今でも
倶利伽羅駅には本線の両側に機回し用の側線が残っている。

 

 IRいしかわ鉄道になって外見が変わったのは入口駅銘板上のマークが
JRから、IRいしかわ鉄道に変わっただけ。簡易型券売機もJRのもの
が一部変更して使用されている。
 入口に昔ながらの郵便ポストが立っている。石動駅側には源平合戦の大きな看板があり、線路側に火牛を使った合戦の様子が描かれ道路側は倶利
伽羅峠観光案内図になっている。
  
 


源平合戦の大きな看板 ホームから火牛を使った合戦の様子

町道から倶利伽羅峠観光案内図