2019/02/18 更新

新西橋から富山新港方向

山王橋をくぐった遊覧船「万葉丸」

 内川は射水市新湊の市街地を流れ、流路延長わずか2.6kmで運河と言った方がよい万葉線は庄川口、新町口、西新湊、中新湊、東新湊、
海王丸が最寄り駅となる。海王丸パークに内川巡り遊覧船の乗船場がる。

 かつて内川は、放生津潟から小矢部川に流れ込む川で、放生津潟は万葉集に「奈呉の江」と詠まれる巨大な潟湖だった。一帯は多くの川が放
生津潟に流れ込む湿田地帯であり、昭和30年代まで、胸まで田んぼに浸かって田植えをしたり、米の輸送に田舟を使わなくてはならないとい
う、農民にとっては過酷な地域だっだ。
 畔には稲架木として利用するため、トネリコの木が植えられ、水郷独特の風景をつくっていた。米をはじめとする農村からの物資が、こうし
た水路を通って放生津潟に運ばれ、さらに内川を通って全国に輸送された。
 1964(昭和39)年に富山・高岡新産業都市の指定を受け
乾田化が進められた広大な射水平野の水を海に排水する排水機場が設けられ、
内川の支流も上流で切断された。
 放生津潟が富山新港として整備されたことに伴い、海面と同じ水位になってしまった。内川はほとんど流れを失ってしまった。当然のことな
がら川はよどみ、かつての姿を失った。水質浄化のため庄川から導水する工事が順次進められ、ようやく元のようなきれいな水を取り戻した。
庄川からポンプで水を汲み上げて内川に流すもので内川は逆方向に流れるようになった。浄化水路には桜橋、茂八橋、藤見橋、西橋の4つの橋
が架かっている、
 内川には漁船がびっしりと係留されている。家の前の船に乗って漁に行く人も多い。この地域が、能登へ行く船「能登船」や、北前船「バイ
船」で栄えた時代の名残。
 景観上の整備も順次行われている。切妻屋根を持ち、憩いの橋として整備された
東橋、ステンドグラスが欄干にはめ込まれた「神楽橋」、
巨大な手の彫刻が置かれた「山王橋」などアイデアあふれた橋が架けられている。
2009(平成21)年、木造の歩道橋中新橋歩道橋が完成した。NHK−BS「にっぽん縦断 こころ旅」で火野正平さんも訪れている。
 (株)新湊観光船が内川を巡る観光船を運行している。海王丸パークから乗って、内川の橋の下をくぐり、奈呉の浦大橋をくぐり海に出て海王丸
パークへ戻るルート。波の高い場合は折返しルートとなる。予約制でビール飲み放題の
ビア船や「寿し船」などの宴会船も運行している。
内川巡りは遊覧船「万葉丸」宴会は屋形船「新湊丸」が使用されている。
 2009年5月にカフェレストランや地元産品を販売する「川の駅新湊」がオープンし、中には、新湊の曳山が展示されていて豪華な山車を
間近に見られる。
 内川沿いには実に多くの神社仏閣があるり、専念寺の傘松が有名。バンドリ一揆を指導した漁民義人の塚や放生津街道で唯一残っている越後
出羽道 三ケ新の道標がある。


内川浄化揚水機場と放流口     最寄り駅は庄川口駅
  

浄化水路1番目の桜橋 2013年架橋
  

浄化水路2番目の茂八橋 2011年架橋
  

浄化水路3番目の藤見橋      最寄り駅 西新湊
  

藤見橋名由来の藤乃宮(神明宮)
  

藤見橋から西新湊駅の途中にある喫茶店「砂時計」
  

藤乃宮(神明宮)向かって左側の白藤
  

藤乃宮(神明宮)向かって右側の藤
  

藤見橋付近の漁民義人の塚

内川側に鳥居のある漁業の神さま西宮神社

 漁民義人塚は、東西放生津の漁師総代佐賀野屋久右衛門と四歩市
屋四郎兵衛を弔う墓碑。江戸中期、悪徳商人が漁民を支配し利権を
思うままにしていたのでこれに不満をもった二人が「バンドリ姿」
の漁民400人と共に金沢城下に押しかけ、加賀藩の公事奉行に直
訴を行った。悪徳商人は処分されたが直訴罪で二人は処刑された。

万葉線の最寄り駅は西新湊駅
 

漁業の神「えびす様」を祀り、749年に創設された。漁師が出漁
する前に船からお参りできるように海に向かって建っている。4月
の例大祭に行われる射水市指定無形民俗文化財「ボンボコ祭り」は
1580年に始まったと伝えられ、不漁が続いたり、海難事故が起
きた翌年に行われる。
万葉線の最寄り駅は西新湊駅
 


浄化水路4番目の橋 県道240号線西橋
  

元の河口付近 右が湊橋  奥が西橋
  

奈呉の浦大橋 遊覧船はここを通って富山湾へ

おたすけ橋と呼ばれる湊橋

新湊西漁港と東漁港を結ぶ橋として1993年5月に架橋。新湊大
橋に通じる湾岸道路として需要な橋。高欄には波を、親柱には新湊
名物の曳山のパネルがはめこまれ、中央展望デッキには万葉の歌の
パネルが装飾されている。橋の上からの立山連峰や二上山などの眺
望も格別で、まさに臨海都市新湊を代表する優美で清悍な橋。
万葉線の最寄り駅は西新湊駅
 

1821年の放生津大火で、湊口に逃げた住民は橋がなかったため
48名も焼死した。この地獄絵さながらの光景は加賀藩検視役人の
同情を呼び板橋が架けられ、俗に「おたすけ橋」と呼ぶようになっ
た。明治28年に現在の湊橋に改称。10月1日の放生津八幡宮の
秋の祭礼に、13本の曳山がこの橋を渡る様は勇壮そのもの。
万葉線の最寄り駅は西新湊駅
 


西宮神社の南側にある三日曽根神社

新西橋付近にある専念寺の笠松

三日曽根地区は万葉線の南側だが神社は北側の本町3丁目にある。
8月に行われる大黒祭りでは、浜獅子太鼓が奉納される。日本海の
荒波を思わせる勇壮な太鼓で、能登の御陣乗太鼓に似ている。
和同開珎の鉾飾りの三日曽根の曳山はここでお祓いを受けて出発す
る。写真は5月14日の春季例大祭。
万葉線の最寄り駅は西新湊駅
  

専念寺の庭には、「傘松」がある。大変大きく、黒松と赤松の雑種
で、突然変異によって傘状になった全国的にも珍しいもので「から
かさ松」の俗称で親しまれている。銅鐘は室町時代の1475年に
作られ在銘の和鐘としては県内最古と言われている。傘松は県指定
天然記念物、銅鐘県指定文化財となっている。
万葉線の最寄り駅は新町口駅
  


蓮田修吾郎氏がデザインの新西橋

360年の歴史がある中の橋

1993年に完成した橋で、内川に架かる橋では最も斬新な橋と言
われている。文化勲章を受章した金属造形作家・蓮田修吾郎氏がデ
ザインしたモニュメントが施してあり、黒褐色の金属と灰色のコン
クリートが実によくマッチして現代感覚となっている。高欄や橋詰
めの両側にあるモニュメントは、垂直に伸びた3本の角柱が上部で
巧みに連携し豊かなイメージを醸し出している。
万葉線の最寄り駅は西新湊駅
 

1650年にかけられた橋で西橋と共に360年の歴史を持つ古い
橋の一つ。当時、橋は3つしかなく、中間に位置していたので中橋
となった。欄干には、郷土出身の画僧 牧 肴恵氏の仏や橋の由来を
描いた墨絵などがパネルに装飾されている。橋付近には多くの漁船
が係留されている。橋の左岸上流側に休憩所と駐車場が設けられて
いる。
万葉線の最寄り駅は新町口駅
 


耐震強化と内部が刷新された渡辺家番屋「番屋カフェ」
  

「番屋カフェ」の入口の漁具と大漁旗
  

2009年6月竣工の歩道橋 中新橋

川の駅新湊からステンドグラスの神楽橋

2009年6月に歩行者専用橋として架け替えらた。中町(現在の放
生津町)と新町(現在の中央町)を結ぶ橋で、それぞれの頭文字をとっ
てこの名がつけられた。
橋のデザインは、江戸時代に北前船の寄港地して栄えた内川の歴史
を今に伝えるべく北前船をイメージしたもので、周囲の景観と調和
するように天然の木材による外装となっている。
万葉線の最寄り駅は新町口駅
 

1985年に完成。欄干には、新湊出身の工芸作家大伴二三弥氏、
新湊市の木である松や市の花ケイトウ、曳山、カモメなどが描かれ
た72枚のステンドグラスがはめこまれている。
朝日や夕日がこのステンドグラスを通して虹色となり、別名「虹の
かけ橋」とも呼ばれている。夜になると街路灯の光と色が映す川面
も魅力がある。
万葉線の最寄り駅は新町口駅
 


神楽橋から川の駅新湊

川の駅新湊前にある長恩山大楽寺

施設内には、射水市の特産品を販売する「うまいもんショップ」を
はじめ、毎年10月1日に新湊市街を引き回す豪華絢爛な曳山を常
設展示する「曳山展示室」、内川の風情を楽しむ「カフェレストラン」
があり、ワンコイン(500円)の日替わりランチが人気。内川散策
の拠点となっている。第4水曜休館、カフェは毎週水曜定休日。
万葉線の最寄り駅は新町口駅
 

平安時代の創建と伝えられる。明治初期の本格的な土蔵造りの本堂
と庫裡が1994年6月に全国の寺院の中で初の国指定登録有形文
化財に指定されている。本堂内にはネパール政府が愛知万博で展示
し、大楽寺に贈られたマニ車33個が展示されている。本堂奥に北
前船資料館がある。
万葉線の最寄り駅は新町口駅
 


川の駅新湊の曳山展示 昼と夜の姿を展示
  

川の駅新湊前にある浄土真宗本願寺派善行寺
  

手のモニュメントがある山王橋

屋根付きの歩道橋 東橋

1990年3月完成した山王橋は橋の4箇所に丸みのあるバルコニー風の半円形のアプローチを持つ形状に、郷土出身の竹田光幸氏制作の大理石で作られた4基の手の彫刻が設置されている。この橋の欄干には音符の音階がデザインされており、歩道側には童謡の「海」のメロディが、車道側には童謡の「キラキラ星」が刻まれている。
万葉線の最寄り駅は新町口駅
 

ベンガラ色の橋は周囲の家並みにも調和して、1994年度手作り
郷土賞を受賞した。スペインの建築家セザール・ポルテラ氏に基本
デザインを依頼し、全国でも珍しい歩行者専用の切妻屋根付き橋で
橋の両端には、ガラス張りでベンチを備えた休憩室があり、屋根に
は太陽と月をかたどった風見鶏が付いている。
万葉線の最寄り駅は中新湊駅
 


足利善材像がある放生津橋

2007年架け替えの二の丸橋

1493年越中の国放生津に、足利善材(よしき)が亡命政権を樹立し、放生津は政治・文化の中心として栄えていた。
高欄には戦いに赴く足利善材や上京する様子を描いたパネルがはめ込まれている。右岸の上流(庄川)側に足利善材のブロンズ製彫刻が
解説柱とともに設置されている。
万葉線の最寄り駅は中新湊駅
 

最初の橋は1920年に完成。放生津城にちなんで名付けられた。
1960年に架け替えられたが老朽化が進み、2007年に再度架け替えたられた。橋の特徴は放生津小学校の生徒によるデザインで
放生津城をイメージした高欄及び親柱が採用され、周辺環境にも適
したデザインとなっている。
万葉線の最寄り駅は中新湊駅
 


放生津橋右岸の足利善材像

放生津橋近くの放生津八幡宮

1493年に、室町幕府10代将軍足利義材が管領細川政元が起こした明応の政変により幽閉されたが、京都を脱出して越中に逃れて
、越中国放生津城主神保長誠にかくまわれてこの地で越中公方として放生津政権を樹立した。足利義材のもとへは、公家・大名が出仕し、禅僧、歌人ら多くの文化人も訪れるようになり、放生津は北陸の政治・経済・文化の中心地として栄えた。
万葉線の最寄り駅は中新湊駅
 

奈良時代、万葉集で有名な大伴家持が越中国守として在任中に創始
されたと伝えられる。毎年10月1日の秋季例大祭には、富山県で
最も多い、13基の曳山が町内を練りまわす「新湊曳山まつり」が
行われる。放生津八幡宮の宮司は代々大伴氏が務めている。境内には大伴家持を祀る祖霊社と家持の歌碑があり、木彫の狛犬が有名。近くに新湊東漁港、きっときと市場がある。
万葉線の最寄り駅は東新湊駅
 


二の丸橋から内川緑地公園と射水市立新湊中学校
 

内川緑地公園の桜(
ソメイヨシノ・オオシマザクラ)と万葉線アイトラム
 

万葉線内川橋梁

万葉丸から新港大橋

内川橋梁は1932年に越中鉄道の東新湊−庄川口間開業時に架けられた。約86mで万葉線の河川に架かる橋梁では416mの庄川橋梁に次いで長い。二の丸橋から純白の立山連峰をバックに走る電車や、内川緑地公園から桜を入れた電車の写真が撮れる。
万葉線の最寄り駅は東新湊駅

高岡市と射水市を結び海王丸パークへの連結道路に接続している。
新港大橋は市発展のシンボル「海と貿易」をテーマとして構成され4本の親柱には、波に浮かぶ地球がデザインされている。海側の歩道からは富山新港が、内川川の歩道から二上山系が一望できる。
万葉線の最寄り駅は海王丸駅