最終更新日:2016/07/09
最終取材日:2016/07/05

といで
路線:JR西日本城端線
 ← 戸出 → 油田
所在地:富山県高岡市戸出2−4

戸出駅舎

到着するキハ47-1092+キハ47-27城端行き
 戸出駅は中越鉄道の黒田−福野間が開通した1897(明治30)年5
月4日に開業した。この駅は戸出町の表玄関として多くの人々に利用さ
れてきたが、戸出町は1966(昭和41)年に高岡市と合併して町の表
玄関の役割は終えた。高岡から城端に向かって走ると左側に工場群が続
く。戸出高岡銅器団地、藤沢薬品工業と続く。
 駅から700mくらいのところに富山県立高岡南高校がある。高岡の
市街地から通学する生徒が多く、戸出駅利用客の大部分を高岡南高校の
生徒が占める。JR西日本が越中中川駅などとともに駅の無人化を打ち
出したが、両駅とも高校生の利用が多いことから自治体(高岡市)地元住
民が戸出駅利用促進協議会を結成し共に簡易委託駅となった

 運営はJR西日本からの切符の売り上げ手数料で賄われるが、我町の
駅を守ろうという地元住民の意識から切符の売り上げは伸びている。
  ホームは相対式で、線形は駅舎側の1線スルーになっている。駅舎
側1番線が高岡行き、跨線橋を渡って2番線が城端行きとなっている。
駅舎側に引き込み線があり、保線用車両の車庫へ通じている。
  
 駅舎は1897(明治30)年の中越鉄道開業からのもので福野駅
城端駅とともに富山県では最も古い駅舎となっている。
 駅舎待合室では2006(平成18)年の12月から戸出地区の主婦で
つくる「くさなしグループ」が毎週木曜日に、季節ごとの朝どれ新鮮野
菜や加工食品切り花が販売してい。駅前にはオリジナルジェラートなど
を販売する戸出ジェラートがある。
 毎年7月3日から7月7日まで戸出七夕まつりが行われる。戸出七夕
の見どころは住民手作りによる七夕飾りです。デザイン、仕掛け飾り、
大あんどんなど全てに住民の知恵を感じることができるもので福岡のつ
くりもんまつりや中田のかかし祭りのようにコンテストが行われる。
 駅から約1km城端側に高岡市立戸出中学校キタムラ機械がある

駅の裏側に高岡市立戸出東部小学校がある。旧北陸道は高岡開町以前は
戸出、中田を通り
富山へと抜けていた。出町(砺波市中心部)は寒村で
出町の発展は中越鉄道(城端線)開通による。北陸道が福岡−高岡−小杉
ルートに移った後も、藩主が領地見回りや鷹狩りなどで使用する御旅屋
が設けられていた。御旅屋跡には高野槙の大木が残っている。

旧北陸道の戸出中田往来踏切から戸出駅ホームと跨線橋

停車中のキハ40-2137 329D城端行き城端行き

旧北陸道の戸出中田往来の戸出七夕まつり

旅屋門のある永安寺

2番線ホ−ムから林駅方向

1番線ホ−ムから油田駅方向

1番線ホームの駅名標

2番線ホームの駅名標

2番線ホームの柱用駅名標

油田駅側からホーム

林駅側からホーム

1番線ホ−ムから林駅方向

ホームと跨線橋

跨線橋から2番線ホームへの階段

跨線橋から林駅方向

跨線橋から油田駅方向

1番線ホームの跨線橋階段

1番線ホーム改札口方向

改札口

窓口

改札口の時刻表

北陸線が無くなった運賃表

七夕まつりの戸出中田往来踏切

戸出中田往来踏切から戸出駅

戸出中田往来踏切から油田駅方向

醍醐地区のチューリップ畑

御旅屋跡の高野槙の大木

戸出中田往来沿いの正楽寺

2番線ホームの待合室

待合室内部

跨線橋階段から待合室

跨線橋通路

1番線ホームから2番線ホーム

2番線ホームから1番線ホーム

駅舎の待合室

待合室の戸出ふれあい市場看板

駅舎入口

駅舎入口の銘板

新しくなったトイレ

高岡市営駐輪場

ホームから保線車庫

油田駅側から駅舎

駅前の戸出ジェラート

すずらん灯が残る戸出中田往来

県道253号線・戸出停車場線

寺院造りの戸出野神社拝殿

芭蕉句碑・甍塚

高野槙大木の根本(私有地)

停車中のキハ58系城端行き   2002/07/06

発車したキハ58系城端行き   2002/07/06

到着するキハ40系高岡行き   2002/07/06

到着するキハ40系キハ47形城端行き

発車したキハ40系キハ47形城端行き

停車中のキハ40系キハ40形城端行き