五箇山の古名は五ケ山。現在の平村・上平村・利賀村の全域で約367kuの山間地を指す。明治5年に五ケ山の名称が
廃止(1872年)となる。特殊性のある地域性から「五箇山」という総称が今もよく使われ有名な平家落人伝説は、口碑と
1806年(文化3)北茎著「奇談北国巡杖記」の平家の類葉落居して村民となり今に子孫あまたある事にて官名を名乗
る・・・に見られる。同書に南北朝の遺臣遁入説源、人形山・金剛堂山の山岳宗教などの伝説や古記録も散見できる。
1585年(天正13)砺波郡を前田利長が受封して、五箇山は加賀藩治下に入り、下梨村市助を代官に年貢銀50貫文
を収めた。1603年(慶長8)金子22枚を金納、05年塩硝2000斤を年貢納、19年(元和5)の検地を経て年
貢銀納制となり、56年(明暦2)からは金子137枚余と鑞(ろう)、漆、蓑、紙役を銀納した。これは廃藩まで一定して
いた。年貢稼ぎとして塩硝、和紙、養蚕の家内手工業が主産業になり、大家族的奉公人制度と切妻合掌屋根の大型家屋が
発達。1732年(享保17)には村数70、家数997、人数は6834を数えた。
菅沼合掌造り集落は、険しい山あいを流れる庄川のわずかな河岸段丘にあり、現在9棟の合掌造り家屋が残る。江戸時代末
期(19世紀前期から中期)に建てられたものが2棟、明治時代に建てられたもの6棟、最も新しいものは大正14年(1
925年)に建築。冬は豪雪となる厳しい自然に耐え、養蚕など仕事の場として適した住まいとし、はるかな歴史を重ね
て完成された合掌造り。その力強い美しさを中心に日本の原風景ともいうべき山村の景観も含めて、1995年に岐阜県
白川郷、五箇山相倉とともに世界遺産に登録された。

2015年1月5日の撮影画像追加

雪の菅沼合掌造り集落(展望地より)

相雪の菅沼合掌造り集落(2011年・展望地より)
国道156号線沿い合掌造り集落入口 菅沼合掌造り集落駐車場 菅沼合掌造り集落(2011年)
菅沼合掌造り家屋雪下ろし(2011年) 五箇山民俗館(2011年) 塩硝の館(2011年)
菅沼合掌造り集落(2010/01/19)
集落内道路(2010/01/19)
菅沼合掌造り集落(2010/01/19)
菅沼集落より一級水系庄川を望む 国道156号線菅沼合掌造り集落入口 菅沼合掌造り集落
国道156号線沿い展望地より合掌造り集落を望む 菅沼合掌造り集落
五箇山民俗館 菅沼合掌造り集落
菅沼合掌造り集落
塩硝の館
展望地より合掌造り集落を望む

菅沼合掌造り集落(国道156号線沿いの展望地より)

菅沼合掌造り集落

五箇山民俗館(左側家屋)

菅沼合掌造り集落
五箇山民俗館 塩硝の館 菅沼合掌造り集落
国道156号線沿い合掌造り集落入口 156号線沿い世界遺産菅沼集落案内 菅沼合掌造り集落

次ページは国指定重要文化財・合掌造り家屋岩瀬家・村上家・羽場家です。

                                                          

世界遺産五箇山合掌造り集落(春から秋)別途コーナーで紹介しております。

資料
合掌造りについては地元発行の観光パンフレット、南砺市HP。
富山大百科事典  1994年(平成6年)    初版発行 発行所 北日本新聞社
富山県の市町村合併(2004年11月)で、福光町・福野町・城端町・井波町・井口村・上平村・平村・利賀村は現在南砺市。

歴史街道旧北陸道メインページヘ             ダム湖詳細は下記で