曹洞宗高岡山瑞龍寺は、加賀藩二代藩主前田利長公の菩堤をとむらうため三代藩主利常公によって建立されたお寺です。
利長公は高岡城を築城し、この地で亡くなった。加賀百万石を譲られた異母弟利常は、深くその恩を感じ、時の名匠山上
善右衛門嘉広をして七堂伽藍を完備し、広山恕陽禅師をもって開山とされた。造営は正保年間から、利長公の五十回忌の
寛文三年(1663)までの約二十年の歳月を要した。当時、寺域は3万6千坪、周囲に濠をめぐらし、まさに城郭の姿
を想わせるものがあった。
平成9年12月23日、山門、仏殿、法堂が国宝に指定された。また、総門、禅堂、大庫裏、回廊、大茶堂が国の重要文
化財に指定されており、江戸時代を代表する禅宗寺院建築として高く評価されている。
山門・正保二年(1645)に建立され万治年間に場所を変えて建直す。延享三年(1746)火災で焼失、現在の建物
は文政三年(1820)に竣工した。当時としてはめずらしく和算により設計されている。
法堂・明暦年間(1655〜1657)の竣工に成る。建坪186坪。境内第一の大建築、総桧造りとなっている。構造
は方丈建築に書院建築を加味したもので、六室より成っている。中央奥の内陣には二代藩主前田利長の御位牌が安置され
ている。法名は「瑞龍院殿聖山英賢大居士」。中央二室の格天井には狩野安信の四季の百花草が描かれており、正面内陣の
欄間には高岡という地名の由来となった鳳凰が刻まれている。
仏殿・万治二年(1659)に建立された。山上善右衛門嘉宏の最も心血を注いだ力作の一つで、総欅造りである。屋根
は鉛板をもって葺かれている。これは全国においても金沢城石川門にその例をみるだけである。上層軒組は、禅宗建築の
純粋な形式であり、屋根裏の扇垂木やエビ虹梁など複雑にして妙をえた架構法である。御本尊として中国明代の釈迦・文
殊・普賢の三尊をまつる。住所・富山県高岡市関本町35。
最終撮影日・2014年9月2日。


国の重要文化財・総門(撮影日・2014年9月2日)

高岡山瑞龍寺沿革説明表示板

山門(国宝)(撮影日・2014年9月2日)

山門(国宝)(撮影日・2014年9月2日)

山門(国宝)(撮影日・2014年9月2日)

仏殿(前面)と法堂(国宝)(撮影日・2014年9月2日)

法堂(国宝)(撮影日・2014年9月2日)

手前から大庫裏・鐘楼・大茶室(重要文化財)(9月2日)

瑞龍寺伽藍復元図

瑞龍寺・前田利長公墓所地図(案内図拡大)
石廟(県指定文化財) 仏殿(国宝)を望む 仏殿前から山門(国宝)を望む
禅堂から法堂への通路 法堂の鬼瓦(撮影日・2014年9月2日) 総門(撮影日・2014年9月2日)
瑞龍寺入口 瑞龍寺・前田利長公墓所を結ぶ道路 道路沿いの前田利長公像
瑞龍寺・八丁道第一観光駐車場(無料) まちの駅たかおか 瑞龍寺から利長公墓所まで徒歩11分

次ページは雪(12月下旬)の瑞龍寺です。
                                                                 
歴史街道 旧北陸道メインページへ


資料
富山県歴史の道調査報告書(北陸街道)発行昭和55年(1980)12月10日 富山県教育委員会・富山県郷土史会
地元発行の観光パンフレット、施設の説明表示板、HP等。
富山大百科事典  平成6年(1994)初版発行 発行所 北日本新聞社
備考・6月中旬から7月上旬には前田利長墓所の堀のスイレンの純白の花が見頃。