最終更新日:2015/07/10
最終取材日:2015/05/05

いちぶり
路線:えちごトキめき鉄道日本海ひすいライン
親不知 ← 市振 → 越中宮崎
所在地:新潟県糸魚川市大字市振字間ノ口913

市振駅舎

到着するET122-4直江津行き
 市振駅は1912(大正元)年10月15日に国鉄北陸本線の泊駅−青
海駅間延伸時に開業した。越中宮崎駅は無く泊駅の次が市振駅だった。
島式ホーム1面の無人駅で跨線橋は無く、ホームへは駅舎から遮断機、
警報機付きの構内踏切がある。
 ホームに番線は設定されておらず、駅舎側が富山方面、海側が直江津
方面となっている。この辺の海岸は波が荒く、直江津方面ホーム向い側
に波除けフェンスが設置されている。2015年3月14日の北陸新幹
線長野−金沢間開業により、えちごトキめき鉄道に移管された。日本海
ひすいラインはほとんどの列車がET122形単行のワンマン運転のた
め、JRで設置されていた券売機も撤去されている。
 駅前を国道8号線が通り、国道沿いに駐輪場が設置されている。北陸
自動車道開通以降は県境の国道8号線の交通量は少ない。国道8号線は
山腹を通るが、市振の市街地は海側の旧国道沿いにある。国道8号線富
山側に「道の駅越後市振の関」がある。駅前には糸魚川警察署市振派出
所がある。
 市振は越後と越中の国境に位置し、京都から見て越後の「第一番の振
り出し」にあたることが
地名の由来とされる。
 市振関所は1624(寛永元)年頃に幕府の命令で設けられ、高田藩
あるいは幕府代官の管理だった、1869(明治2)年に廃止された

 市振の関所は特異な地形の関係で陸路、海路の両方を取り締まり、
特に「出女に入り鉄砲」などは厳しく検問していたと云われている。市
振関所の敷地内には関所榎が立っていた。
 この関所は高田城主松平光長が開いたもので、通行人の検問の他にも
海上監視の遠見番があったとされているが、現在は関所跡といわれる場
所には解説板とモニュメントがあるのみ。現在も市振小学校校庭に樹齢
250年の関所榎が残っている。
 海岸に細長く伸びる市振集落の東端、海岸道路と旧国道の合流地点に
糸魚川市天然記念物で、日本の巨樹の「海道の松」が立っている。ここ
は松尾芭蕉が奥の細道で「一家に遊女もねたり萩と月」と詠んだ市振宿
の外れ。芭蕉が生きた時代の北国街道には、ここより北に道らしい道は
なく、海岸の断崖の下にできた僅かな波打ち際を走り抜けるように通過
していた。世に言う親不知・子不知の難所だった。越後から京に向かう
旅人は、この海道の松を目にして、やっと難所を通過できたことを実感
したと言われている。松の樹齢は200〜300年と言われる。

ホーム列車の停車位置

到着するET122-4直江津行き

糸魚川世界ジオパーク市振ジオサイト案内板

海側の波除けフェンス

ホームから親不知駅方向

ホームから越中宮崎駅方向

直江津方面ホーム駅名標

泊方面ホーム駅名標

柱用駅名標

越中宮崎駅ホーム端から

構内踏切から親不知駅方向

直江津方面ホーム

泊方面ホーム

青海駅側からホーム

ホーム乗車位置付近の上屋

駅舎から構内踏切

列車接近警報装置

ホームから駅舎

富山側の煉瓦造りの倉庫

ホームから構内踏切へ

ホームから構内踏切

構内踏切から泊駅方向

ホームとの出入口

駅舎の時刻表

駅舎の運賃表

駅舎のベンチ

駅舎入口

駅舎入口の駅銘板

津波対策の海抜8.3m表示

側線との間に停車場中心表示

駅前の駐車場

国道8号線沿いの駐輪場

駅前から国道8号線富山方向

駅前から国道8号線糸魚川方向

駅前の糸魚川警察署市振駐在所

市振関所跡の碑

糸魚川市天然記念物海道の松

海道の松前から市振市街地

海道の松前から市振海岸

市振関所跡の解説板

到着する475系直江津行き 2012/09/05

通過する681系金沢行き 2012/09/05

発車した475系直江津行き 2012/09/05

通過するEF81726牽引コンテナ列車

到着する413系富山行き

到着するET122-4直江津行き