JR西日本氷見線、あいの風とやま鉄道線を越えて高岡市井口本江、蓮花寺へと進む。旧北陸道は枇杷首で庄川を渡り、庄川対岸の大門新町に通じ ていた。庄川には、もと橋はなかった。元和2年(1616)の頃は渡船であったという。架橋のはじめは正保3年(1646)で、長さ75m、幅 3.6mであった。大門新町地先にはじめて橋が架けられたのは寛文6年(1666)であったが、同8年の庄川大洪水で、従来の左岸の一角を中州に して、それより西にもう一本、幅71mの新しい河道ができた。しかも橋が流失してしまったことから、長い間、乗り継ぎ渡船が用いられていた。
嘉永元年(1848)、人々の難儀を見るにしのびず、高岡の侠客大長が枇杷首と大門新町に長さ145mの橋を架けた。これを大長橋と呼んでい る。枇杷首のかっての街道の両側には、いまは民家が5〜6軒しかない。けれども、およそ80年前は、百軒近い民家が軒を連ねていた。当時、庄川 は大門付近で急に川幅が狭くなり145mほどしかなかった。
そのため長雨や雪融けのころ、上流の右岸浅井村地内で、よく堤防が欠壊し人々を苦しめた。大門新町は街道の庄川右岸に発達した町である。
大島地内での旧北陸道筋は、東町や新開発の集落を貫き小島、八塚、赤井、本開発の集落をかすめて小杉町に入る。東町では旧北陸道筋らしい形の 民家が若干残っている。八塚から大島小学校付近で県道44号(旧国道8号)線に合流するまで、昔の面影を伝える事物を道筋で見つけることはでき ない。
小島、赤井の地内で県道44号線とほぼ重なっているが、新開発に近づくと南へ斜行して集落の中へ入った。しかし現在、その道は残っていない。 新開発は、昭和初期に国道8号線ができ、幹線道路からはずれたためか、いかにも街道筋の村という印象を持たせる集落である。
集落を貫く街道の道筋は、集落中央で升形のように屈折している。その屈折部に三方入母屋正面唐破風造りで、手のこんだ彫刻をほどこした地蔵堂 がある。地蔵は持宝珠、錫杖立像で、高さ約90cmの花岡岩造り。地蔵堂の石柱に「富山県射水郡大島村新開発鎮座」「社熊野社」と記載されている
(射水市指定文化財)。地蔵堂のすぐ裏に国土地理院の水準点の標識がある。
補足
正力・小林記念館・大門町の中心部に射水市大門総合会館がある。総合会館1階に正力・小林記念館があります。正力松太郎氏は大門町出身の衆議 院議員でプロ野球の創設と育成、カラーテレビの普及発達に偉大な手腕を発揮。小林與三次氏は正力氏の後継者で日本テレビの経営建て直しと読売新 聞の発行部数を世界一にした。
真言宗蓮華寺は寛喜2年(1230年)鎌倉等覚山大楽寺憲静の高弟観行律師が故ありて鎌倉を去るに臨み、源頼朝の守本尊十一面観世音像を始め 多くの宝物を携えて此の地に来り七堂伽藍を建立したのに始まり、大門町は、この寺の大門があったので、町名が起こったと云われている。幾多兵乱 によって盛衰を重ね、何時の時代にか(270年前とも云う)墓地の一角現在地に移転したもので、以前は現在地より北側300mの地点に広大な寺 域を占め、七堂迦藍があったと伝えられる。
井口神社
もと若宮八幡宮と称し、旧井口郷七ヶ村の三女子、枇杷首、出来田木、井口本江、深沢、百米木、蓮花寺の惣社であった。神体は石仏の大日如来座 像で、弥陀三尊の像も安置してある歴史のある神社。
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華蓮寺真
言宗本堂 |
蓮華寺 源頼朝公祈願所標柱 参道にならぶ観音・石仏 寺銘標柱 |
蓮華寺本堂内 |
蓮華寺に隣接する井口神社(旧井口郷七か村の惣社 |
大門神社(庄川右岸) |
庄川左岸よりの大門橋・旧北陸道が渡った地点 |
定塚町から蓮花寺方面へ氷見線踏切 |
蓮華寺本堂の本尊 |
蓮華寺境内の宗祖弘法大師修行像 |
蓮華寺境内の五輪塔 |
井口神社(もとの名称は若宮八幡宮) |
蓮華寺境内から旧北陸道を望む |
恵比須堂(庄川左岸枇杷首) |
大門市街地から大門橋 |
大門神社前から旧北陸道へ |
大門神社の狛犬 |
庄川水辺の交流館(庄川右岸) |
和田川に架かるときわ橋 旧北陸道 |
ときわ橋からあいの風とやま鉄道側 |
ときわ橋から県道73号線側 |
ときわ橋から大門市街地 |
大門市街地大門駅方向 |
大門市街地(大門新町繁華街) |
大門総合会館の正力・小林記念館 |
記念館前の正力松太郎博士之像 |
真宗大谷派誓光寺山門 |
大真宗大谷派誓光寺本堂 |
誓光寺前の明治天皇駐輦所石碑 |
あいの風とやま鉄道越中大門駅 |
駅前の洪水水位標 移動されている |
越中大門駅付近から庄川方向 |
八塚の少彦名社 |
神社右側の地蔵堂 |
少彦名社前から旧北陸道 T字路 |
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射水市立大島小学校
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射水市指定文化財新開発の地蔵堂 |
あいの風とやま鉄道野田踏切へ左折 |
あいの風とやま鉄道野田踏切へ左折 |
野田踏切側から県道44号線方向 |
大島小学校前から県道44号小杉方向 |
県道44から工場の中を抜け新開発へ |
廃材処理工場付近から小杉方向 |
射水市指定文化財標柱 根元に水準点 |
新開発の地蔵堂前から小杉方向 |
新開発の地蔵堂前から小杉方向 |
県道44号線から新開発の地蔵堂方向 |
県道44号線 自販機の奧が一里塚 |
小杉旧三ケ村の一里塚 |
これより旧北陸道は「小杉市街地」へと向かいます。
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資料
富山県歴史の道調査報告書(北陸街道)発行・昭和55年(1980)12月10日 富山県教育委員会・富山県郷土史会
地元発行の観光パンフレット、施設の説明表示板、HP等。
富山大百科事典 平成6年(1994)初版発行 発行所 北日本新聞社
市町村合併について
富山県の市町村合併(2005年 4月)で富山市・大沢野町・大山町・八尾町・婦中町・山田村・細入村は現在富山市。
富山県の市町村合併(2005年11月)で福岡町は現在高岡市、大門町・大島町・小杉町・下村・新湊市は現在射水市。
富山県の市町村合併(2004年11月)で、福光町・福野町・城端町・井波町・井口村・上平村・平村・利賀村は現在南砺市。
富山県の市町村合併(2006年 3月)で宇奈月町は現在黒部市です。
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