鷲塚公民館前から国道8号線まで県道62号線との重複区間となっている。下村市街地と諏訪社付近に昔の面影が残っているが、他は拡幅整備され て中央線のある道路(幅7メートル以上の道路)になっている。
この区間は古くからの寺社が多く残っている。鷲塚集落にある躰玄寺は、もと越中・加賀国境の天台密教修験道場医王山四八ヶ寺の一つであった。 のちに蓮如に帰依して浄土真宗に変わり、明治14年鷲塚に移った。木造阿弥陀如来立像が安置されている(富山県指定文化財)。
藩は主要街道に道番を置いて道路を管理させた。資料の記述範囲では高岡市地内下関村に2人、大門地内二口村に2人、大島町地内八塚村に2人、 小杉町地内鷲塚に2人、同小白石村に1人、新湊市打出本江村に2人の道番人が任命されていた。小白石、西高木、大白石(今は白石)と進む。
左側道沿いに大永元年(1521年)富山市願海寺の僧・祖白によって開山した高徳寺があり境内に高徳寺観音の堂がある。延宝5年(1677年) 下村加茂の南端の川底から当寺住職明龍によって堀上げられたものと伝えられている。33年に1度御開帳になる観音として有名。山門前左側に宝篋 印塔一基あります。街道沿いに白石の加茂社がある。
下村は、近世の射水郡で戸破に次ぐ大村で、一村の草高が3079石であった。町村制で、白石、倉垣小杉、慴出寺、八講、新村、三箇、山屋など とともに下村を組織した関係で、下の地名を加茂と改めた。この集落こそ往還の宿場下村である。小杉新町と同じく寛文2年(1662)に宿駅に指 定され、同6年には、転馬が23頭置かれることになった。高岡の47頭に次ぐ数で水戸田と同数であった。
白石の集落内を往還の道筋沿って流れてきた鍛冶川旧河道は本堂橋付近で林川と合流し、さらに下村加茂神社で蔦川を合わせ、北流して放生津潟を 経由し伏木の港に通じていた。下村で集約される物資等は、この水路によって伏木まで運ばれた。中の橋を左折し蔦川に沿って行くと下村加茂神社が ある。
寛治4年(1090年)7月に堀河天皇が山城の上賀茂・下賀茂両神社供御殿として寄進した倉垣庄の鎮守として勧請された神社である。境内面積 8600m2、他に317m2の社有地がある。本殿は享保7年(1722)9月に再建され、拝殿は明治4年5月、中沖村真宗東派西光寺旧本堂を移したものである。加茂神社に隣接してあるのが宝林山福王寺。
下村加茂神社(所在地は富山県射水市加茂中部630)の隣りには下村馬事公苑がある。昭和61年に完成し厩舎ではサラブレットが7頭飼育され ていて、愛馬クラブの会員が調教している。
宝林山福王寺は、約1100年前に空海(弘法大師)が開いたと言われる歴史のあるお寺。福王寺は加茂神社の別当寺であったが創建の年は不明。 応永2年(1395年)に中興されたと言われる。鎌倉時代中期と考えられる。阿弥陀如来身座像・毘沙門天立像・不動明王立像などすぐれた仏像が 伝えられている。
旧北陸道を打出本江へ向かって進むと交差点があり道沿いに正覚寺があります。正覚寺は真宗東派で永享3年(1431年)の開基。はじめ真言宗 であったが、浄土真宗に転じた。本堂が建てられたのはは享保8年(1723)。綸旨、同奉書、前田利長書状各1通を蔵する。道番の諏訪社の辻に 「道しるべ」が残っている。2段の台石をもつ標石の左面に「左 はまみち」正面に「右、江戸道」右面に「文化十二年亥九月出来 打出本江村…」 の文字がある。この場所は字名のとおり、かって道番の屋敷があった跡なのである。
旧北陸道は、諏訪社手前(道番屋敷跡)の道を右折し富山市の八町、布目、八幡集落の八幡宮前で右折して~通川の渡河点に入る事になる。
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下村加茂神社鳥居 |
下村加茂神社拝殿 寺院の本堂を移築 2021/01/01 |
下村加茂神社南側の馬事公苑 |
馬事公苑東側の真言宗 宝林山 福王寺(県指定文化財の仏像が3体安置) |
下村加茂神社境内 |
下村加茂神社前の石柱 |
鷲塚の躰玄寺 |
躰玄寺安置(指定文化財仏像) |
鷲塚加茂社の鳥居 |
躰鷲塚加茂社 |
鷲塚加茂社前の旧北陸道 |
小白石の国道8号線交差点を直進 |
小白石加茂社の旧北陸道沿い参道 |
小白石加茂社 |
旧北陸道から高徳寺 |
高徳寺山門 |
高徳寺前石柱 |
白石口バス停・高徳寺前(旧北陸道) |
村社 白石加茂社 |
村社 白石加茂社 |
白石加茂社前の旧北陸道 |
直進旧北陸道 左折下村加茂社 |
真言宗 宝林山
福王寺本堂 入口左側の県指定文化財の仏像3体の説明板 |
新鍛冶川に架かる下村大橋 |
下村大橋から新鍛冶川 |
福王寺前石碑 |
旧北陸道道沿いの福王寺の寺銘碑 |
下村加茂神社神馬像 |
下村加茂神社境内・葵館事祭施設 |
下村馬事公園 |
下村馬事公園クラブハウス |
下村加茂神社境内社 稲穂神社 |
下村加茂神社境内社 貴布禰社 |
下村加茂神社境内社 任海社 |
下村加茂神社案内図 |
下村加茂神社神馬像 |
下村加茂神社境内・葵館事祭施設 |
正覚寺前の旧北陸道 |
正覚寺山門 本堂 |
旧北陸道沿い・道番人の屋敷跡 |
道番の道標の説明板 |
正覚寺本堂と蔵 |
本江利波集落 遠方右に道番屋敷跡 |
屋敷跡の道しるべ石碑 |
旧北陸道は諏訪社手前を右折 |
諏訪社手前より布目、八幡方向 |
本江道番バス停前は諏訪社 |
諏訪社 |
石垣ができる前の諏訪社 |
歴史街道 旧北陸道メインページ
資料
文中の旧北陸道は加賀藩往還道指す。(往還道は加賀藩主が江戸への参勤交代に通った道筋)。説明文面は「資料内容」で記載。
富山県歴史の道調査報告書(北陸街道)発行昭和55年(1980)12月10日 富山県教育委員会・富山県郷土史会
地元発行の観光パンフレット、施設の説明表示板、HP等。
富山大百科事典 平成6年(1994)初版発行 発行所 北日本新聞社
市町村合併について
富山県の市町村合併(2005年 4月)で富山市・大沢野町・大山町・八尾町・婦中町・山田村・細入村は現在富山市。
富山県の市町村合併(2005年11月)で福岡町は現在高岡市。大門町・大島町・小杉町・下村・新湊市は現在射水市。
富山県の市町村合併(2004年11月)で、福光町・福野町・城端町・井波町・井口村・上平村・平村・利賀村は現在南砺市。
富山県の市町村合併(2006年 3月)で宇奈月町は現在黒部市。
八幡・草島・岩瀬・浜黒崎・水橋は富山市、石動は小矢部市、立野は高岡市、泊・宮崎・境は朝日町です。
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