石川県境から倶利伽羅峠を越え小矢部市(石動市街地)から高岡市(旧福岡町市街地)に入り国道8号線と交差し直進すると旧北陸道は高岡市立野。 立野は小矢部川右岸に位置する。旧北陸道の街並みを中心に開け加賀藩時代は宿場町として栄えた町である。各町内には地蔵さんが立派な小堂に納め られていた。
旧北陸道は立野公民館から立野市街地を直進する県道66号線と交差する。交差点を右折すると、あいの風とやま鉄道線西高岡駅、左折すると国道 8号線となるが、旧北陸道は直進して祖父川に架かる三枚橋を渡って羽広(羽広交差点を直進)・千石町・横田町へ入る。この辺り旧北陸道は県道254
号線となっている。
羽広交差点を右折すると、あいの風とやま鉄道の高岡駅へ、左折すると国道8号線。千石町、横田町方面の街道は道幅が拡張され古い街道をしのば せるものは少ない。横田町の中心的な位置に長楽寺がある。開基(寺が開かれる)は1455年から56年頃に守山城下に創建されたが、天正の頃 (1573年から1591年)現在地に移る歴史のあるお寺。横田市街地を進むと交差点があり左側には高岡市指定文化財の有磯正八幡宮がある。
旧北陸道は右折し高岡の町域へと進むことになる。有磯正八幡宮境内には神木として「親子抱き合いの大欅」がある。親木は有磯正八幡宮がこの地 に鎮座(神霊がその地にしずまること)したときはすでに繁茂しており子木の樹齢でさえ約400年以上と言われている(八幡宮は1612年までは 横田村領川原新町にあったが川崩のため現在地に移転)御用水は、明治42年皇太子(後の大正天皇)が高岡に行啓された折に、高岡で一番おいしい 水とされた宮の御神水が殿下に献上された。
慶長年間に藩主前田利長公から奉納されたと伝えられる石垣は高岡城築城の際に、その敷地に鎮座されていた有磯宮は横田正八幡宮に合祀されるこ とになり、その折に山右近の進言により奉納されたと伝えられている。有磯正八幡宮が、高岡城に向かう街道の要所にあることから、築城様式の石 垣を築いたとされる。
「高岡・上北島に旧北陸道再現」、祖父川に架かる三枚橋を渡るとすぐ道沿いの左側に高岡開町400年を記念し、旧北陸道の景観を再現しょうと、 上北島の住民でつくる「高岡歴史街道整備実行委員会・川辺寛次会長」がクロマツを植樹。
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