文政3年(1820)、犀川西側の「にし」とともに「ひがし」の茶屋町として浅野川の東岸に整形な街区が形成された
茶屋町。街路に面して、一階に出格子を構え、二階に座敷を置く茶屋の形成を示す町家が連なっている。
ひがしの興りとあゆみ
江戸時代、このあたりは金沢城下から越中を結ぶ北国街道の下口として人や物資が行き交うとともに、観音院を初めとし
た卯辰山山麓の寺院で行われる行事や門前町の茶屋で楽しむ人々などで大いににぎわっていました。加賀藩はこのような
町人達の風俗を取り締まり、武家社会の治安を保つことを目的に、文政三年三月(1820)、地域を限った茶屋町を正式
に認めたことで、ここ「ひがし」に茶屋町が設けられ、卯辰茶屋町とも浅野川茶屋町とも呼ばれました。その後、茶屋町
は天保二年(1831)に一旦廃止になったものの、幕末の慶応三年(1867)には再び公認され、明治以降は「東天
地」・「ひがし」と呼ばれ、市内随一の格式とにぎわいを誇る茶屋町として、今日に至るまで金沢の茶屋文化を受け継い
できている(東山ひがし界隈説明表示板より)。
末尾に浅野川沿いの主計町(かずえまち)茶屋街を追加しました。


ひがし茶屋街(2012年6月4日)

ひがし茶屋街(2012年6月4日)

ひがし茶屋街(2012年6月4日)

ひがし茶屋街(久連波・友禅)

ひがし茶屋街

ひがし茶屋街
ひがし茶屋街を散策の観光客 ひがし茶屋街を散策の観光客 くるみや(喫茶)
.
金沢市東山・ひがし茶屋街(2011年4月6日)

金沢市東山・ひがし茶屋街(2011年4月6日)

金沢市指定保存建造物「懐華樓」

金沢市指定保存建造物「懐華樓」説明表示板



志摩は、金沢城跡の北東、浅野川大橋北詰めに隣接する金沢市東山一丁目にある。文政3年(1820)の茶屋町創設当
初に建設された茶屋建築で、1・2階の座敷廻りには、要所に面皮柱を用い、全体に濃い色付けをほどこし、弁柄色の土
壁や具象的な図案の金物等で、華やかな室内をつくる。茶屋町の佇まいをよく残す金沢市東山ひがし重要伝統的構造物群
保存地区の中心に位置し、保存状態が良好で「ひがし」に残る茶屋の典型を示す遺構として重要である。全国的にも類例
の少ない茶屋建築であり、江戸時代後・末期における庶民文化の一端を知るうえでも貴重な建物です。


金沢市東山・ひがし茶屋街(志摩・左側建造物)

国指定重要文化財「志摩」

国指定重要文化財「志摩」

国指定重要文化財「志摩」説明板・平成15年12月25日
典型的なお茶屋の庭 囲炉裏 台所
ひろま 前座敷 ひろま・なかの間・前座敷
はなれ 寒村庵(抹茶も頂ける・有料) 浅野川に架かる梅の橋



主計町は北国街道(旧北陸道)が浅野川を渡る地点に架かる浅野川大橋の近くに位置する。茶屋町として明治期から昭和
戦前期にかけて栄え、当時の建造物が多く残っている。ひがし茶屋街・西茶屋街と並ぶ金沢3茶屋街の1つで国の重要伝
統的建造物群保存地区に指定されています。
浅野川大橋・国登録有形文化財(建造物)鉄筋コンクリート造・三連アーチ橋・橋長55m・幅員17m。


主計町茶屋街

主計町茶屋街

正面見える浅野川大橋詰火の見櫓(国登録有形文化財)

浅野川大橋(国登録有形文化財・建造物)

浅野川大橋

浅野川大橋(国登録有形文化財・建造物)
主計町茶屋街 ひがし茶屋街側より主計町茶屋街望む 大橋取付の国登録有形文化財版
浅野川大橋周辺の歴史ある建造物。
歴史ある綿谷小作薬局(創業1667年) ビストロとどろき亭(1921年建築) 徳田秋聲記念館

撮影日時・2011年4月6日・2012年6月4日
                                                                         
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資料 
地元発行の観光パンプレット・HP及び施設説明表示板