角川は、魚津市を北西に流れる2級河川(延長15.5km)、早月川と片貝川の分水嶺を源流とする。升田川・富川・坊田川などの支流を合わせ松倉・
上中島・下中島地内を蛇行しながら富山湾へ注ぐ。灌漑用水として利用、流域は古くから米作が盛んで、市内でも早くから開ける。流れが短くて急なた
めに、たびたび洪水を引き起こした。

 昭和40年代(1965から74)から下流部で河川改修事業が始まり、昭和53年(1978年)に上流部にロックフィル式の県営角川ダムが完
成。県営角川ダムより上流右岸の城山には松倉城跡がある。松倉城(魚津市字城山3の2)は角川右岸の標高約430mの城山に築かれた城。西の守
山城(高岡市)増山城(砺波市)と並び越中三大山城の一つと称される。

 鎌倉時代、当地に入部した椎名氏が次第に勢力を得て室町時代には新川郡の守護代を務め、この城を本城とした。越中国内でも有数の要害であるこ
とから、南北朝時代には普門(井上)俊清や桃井直常らがしばしば拠点として戦闘を繰り広げた。椎名氏は始め上杉謙信に属したが武田信玄と結んで敵
対したため1569年(永禄12)謙信に攻められ城を追われた。この後に上杉の武将河田長親らが居城し、魚津城とともに上杉方の重要拠点になっ
た。
 左岸に角川流域と早月川流域を結ぶ県道320号線白倉トンネルがある。1車線トンネルだが、交通量は少なく信号機が無く距離が長いので途中に退
避する場所がある。1954年に開通したが、1980年代にカップルが焼身自殺したことで心霊スポット化され有名になった。

角川ダム堰堤

角川ダム堰堤からダム湖

上流の白倉トンネル坑口前から角川ダム湖

角川ダム湖と県道320号線白倉トンネル

県道67号線から角川ダム堰堤

角川ダム堰堤

県道67号線から角川ダム放流口

角川ダム石碑

県道67号線沿いの角川ダム管理事務所

説明板(富山県新川土木センター)

県道320号線白倉トンネル早月川側

白倉トンネル退避場所

白倉トンネル角川側坑口

白倉トンネル前から角川ダム湖

県道320号線新大熊橋

新大熊橋より上流

新大熊橋より下流

松倉城址標識(ダムを過ぎた所)

松倉城址(角川ダム近く)

松倉城址入口石碑

金山谷2号橋

金山谷2号橋・角川の銘板

金山谷2号橋より上流

金山谷2号橋より下流

金山谷1号橋

出橋

出橋より下流

旧北陸道渡河地点の角川橋

角川橋より上流

角川橋より下流

角川河口の県道1号線新角川橋

新角川橋より上流

新角川橋から角川河口・富山湾

河口左岸の魚津港南地区補助港

河口からの富山湾

河口から魚津市内を望む

角川右岸近辺の埋没林博物館

角川右岸近辺の海の駅蜃気楼

海岸線にある蜃気楼の眺望地点

米騒動発祥の地

海岸線にある諏訪神社

魚津城跡石碑 現:魚津市大町小学校

新角川橋(右岸より)

右岸河口の万燈台

万燈台説明板

諏訪神社前のしんきろうロード
 
                                


資料
「富山大百科事典」 1994年(平成6)初版発行 発行所 北日本新聞社
「富山県歴史の道調査報告書・北陸街道」 1980年(昭和55)発行 富山県教育委員会(編集) 富山県郷土史会(発 行)
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