黒部川は北アルプス中央部の三俣蓮華岳足鷲羽山を源に、V字峡谷を縫って富山湾東端で日本海へ注ぐ1級河川で全長86km、24の支流をもつ。
黒部川の扇状地は、昔「黒部十八ケ瀬」といわれたごとく、流水は自由奔放、洪水ごとに氾濫・移動を繰り返し数多くの分岐・合流を形成し、いずれ
が本流か定かでなかった。


 愛本橋は古くから黒部川の渡河点として、交通の要地であったが、寛文3年(1662)に加賀三代藩主前田綱紀の英断によって初めて架橋された
が、日本三奇橋の一つと言われた刎橋(はねばし)だった。宇奈月麦酒館となりの宇奈月学友館には愛本刎橋の1/2模型が展示されている。

 旧北陸道は橋を渡り、すぐ県道は大きくカーブして進むが、旧道は、中の口公民館のななめ前、炭焼協同碑の左を入り下る。舟見街道から藤塚、南
保河原から泊へと進む。

 中尾山十三寺の門前には、川原石の立石その他がある、戦没碑2、顕彰碑1、木造小堂内に地蔵、観音等石仏数体等である。近くには入善町指定文
化財の藤保内神社(本殿)がある。


 舟見市街地の舟見バス停前に「舟見の本陣跡」がある、当時舟見は本陣・脇本陣のあった宿場町だが、現存するものは余りない。中心地、信号のあ
る四ツ辻のところ、手前左角に脇本陣が、向うの右角に堀、本陣があったという。「里程標」には、至下新川郡浦山村壱里拾八町四拾八間・至越中国
境村四里六町弐間、富山市、泊町まで等々記載。


 長い舟見の町並みを通り過ぎると羽黒になり、羽黒神社があるが、ここの鳥居をくぐった左側に川原石に「庚申塔」と刻んだ一石が街道側を背にし
て立つ。歯痛には良く効く社として、有名らしい。藤塚のバス停の近くには、朝日町指定史跡の「横水一里塚」がある。

 愛本橋の西端から上流へ約40mの道路下と川との間の断崖に、ウラジロガシを主とした原始林が見られるが、昭和42年9月26日「富山県指定
天然記念物」指定される。舟見街道の往還松2本をすぎて、交差点を右折すると舟見城址館がある。   
愛本堰堤の歴史と概要

入善町側から県道13号線愛本橋 ニールセン・ローゼ桁橋

川の灯台(立入禁止) 付近から愛本刎橋のあった場所

愛本刎橋の絵葉書をカラー化 説明板のものと同じ絵葉書

愛本刎橋の説明板

舟見街道の往還松 愛本新御前林の松 10年前は2本あつた

舟見城址から旧北陸道加賀往還道 県道13号線

黒部川に架かる愛本橋

宇奈月学友館

宇奈月学友館の愛本刎橋の1/2模型

左折で中の口緑地公園

県道13号線より旧北陸道

手前の松は枯れた 2010年撮影

舟見城址館

左舟見城址説明板

舟見城址館石碑

中尾山十三寺門前石碑

中尾山十三寺門前石碑

県指定文化財十三寺の仏像説明板

舟見バス停前の舟見本陣跡

舟見本陣跡・里程標

舟見本陣説明板

羽黒神社

藤保内神社

藤保内神社の社銘柱

藤塚バス停前

朝日町指定史跡・横水一里塚
 
朝日町歴史公園・旧川上家
 朝日町歴史公園の管理棟となる旧川上家は、江戸時代の中頃に宿場町であった泊町に建てられた県内最古と言われる町家を復元したも。板葺き石置
き屋根の妻入りの建物で、街道に面した雁木から屋内に入ると、土間に続いた店の間に、いろりや帳場などがあり、当時の歴史情緒を感じる。

 この建物は、町特産物直売所、民具の展示場として、バタバタ茶を飲みながらの休憩場所としても利用できる。朝日町の特産品バタバタ茶は中国か
ら伝来した黒茶で、飲みつづけることで食欲が増し、コレステロールを減少させるなどの効果があると言われている。

 朝日町埋蔵文化財保存活用施設「まいぶんKAN」は富山県下新川郡朝日町不動堂214にあり朝日町の遺跡から発掘された埋蔵文化財の博物館。
職員さんより、色々な史跡の話と、史籍を見せてもらう。

 旧北陸道の道筋は不動堂を過ぎてしばらく行くと小川橋があります(この辺の小川で一番狭い箇所を渡り右岸にでる)小川は水流の早い荒川で、上
往還道筋の渡場で、川幅1町20間あり、これを歩いて渡った。

 国道8号線沿いの朝日町役場後方にひと際目立つ二本の松の老大樹がある。これが伝説と古い歴史を持つ昇天の松である。相撲伝説をもつこの松は
樹齢約400年、幹廻り4.5mと4.2mで県下でも最大級の見事なもの。

 泊の町並みへ入ると常光寺、松林寺、妙輪寺、妙林寺等由緒あるお寺が並んでいる。常光寺は、室町時代に魚津松倉に創建された巨刹で、江戸時代
になって殿村・元屋敷を経て、享保2年(1717)現在地に落着いたという。寺域には樹令450年と推定される大ケヤキがあり古くから漁船航行
の目標とされてきたと伝える。

 妙輪寺の前庭には天然記念物の樹齢約250年のサルスベリの巨樹がある。嘉永3年(1850年)の「一石一字」の題目笠塔婆が立つ。

「常光寺大ケヤキ」、お寺で話を聞くと残念ながら数年前に台風で倒れたため伐採したとのことだった。



朝日町埋蔵文化財博物館 まいぶんKAN

朝日町歴史公園内旧川上家

まいぶんKAN入口

朝日町歴史公園

朝日町歴史公園内旧川上家

朝日町歴史公園内旧川上家

小川橋(旧北陸道が渡った周辺)

昇天の松

朝日町庁舎

常光寺

常光寺大欅跡(樹齢450年と推定)

妙輪寺

妙輪寺 町指定天然記念物サルスベリ

サルスベリ(幹廻り211p)

宮崎鹿嶋神社・宮崎海岸
  泊本町付近は五差路になっていて、西からの下街道の入善道と一致。北陸線のレールを、次いですぐ国道8号線を斜めによぎり、脇子八幡宮に至
る。旧北陸道は、国道の通る横尾トンネルを右に見、越坂を下る。

 少し進むと、右手台上に熊野神社がある。参道隅に、玉垣で囲ったところに中央に欅の大樹、その根元に一石がその手前には立石があって「親鸞聖
人御腰掛石」と刻まれている。大樹根元の一石がいわゆる腰掛石である。南からの山地がぐっと迫る辺り、宮崎の鹿島神社樹叢の前へ出る。

 鹿島神社社殿の背後は大きい森でおおわれた林となっている。この林は宮崎鹿島樹叢と称され、国指定天然記念物である。古来、御留林として特別
保護のもとに原始のまま今日におよんだもので、しかも当地方では珍しい常緑擱葉樹のシイノキやアカガシを優占種とする林相。

 慶長十年(1605)4月6日前田利長が、この神社を祈願所とし、神林を寄進したと伝える。生物学的には、日本海東北沿岸における暖帯自然林
として、また陸産貝類の貴重な生育地帯として、その他シロヤマシダ、トウゴクシダなどの北限分布地帯として丁重に保存されている。

 境内入口の鳥居、右の近くに一里塚の大きなエノキがあったが伊勢湾台風のとき折れて、切り株も土に埋ってしまった。鹿島神社鳥居前、道路に面
し斜め前の家の辺にも一里塚があったという。神社のとなり、神職のお宅に「明治天皇御休止跡」の石碑がある。

 旧街道は鹿島神社の前を進みます。神社前から東へ1km後ろが急傾斜の城山、前が富山湾。宮崎鉱泉の前を進みあいの風とやま鉄道越中宮崎駅前
へと進み、境市街地に入る。


脇子八幡宮

脇子八幡宮の説明板

鹿嶋神社・国指定天然記念物・宮崎鹿島樹叢

宮崎鹿島樹叢の説明板

鹿嶋神社表参道

鹿嶋神社拝殿

脇子八幡宮入口国道8号線横尾交差点

脇子八幡宮一の鳥居

脇子八幡宮二の鳥居

鹿嶋神社説明板

旧北陸道沿いの大ケヤキ

大ケヤキの幹廻りは525cm

笹川橋

笹川橋から国道8号線

熊野神社

明治天皇御小休所跡石柱

明治天皇宮崎御小休所説明板

石碑(親鸞聖人の御腰掛石)

鸞聖人の御腰掛石

親鸞聖人の御腰掛石説明板

宮崎鹿島樹叢

宮崎漁港

ヒスイ海岸側より宮崎漁港

宮崎漁港前道路

親鸞聖人御假泊之古跡

親鸞聖人御歌碑

あいの風とやま鉄道越中宮崎駅

越中宮崎駅前より宮崎漁港方向

越中宮崎駅前のヒスイテラス

越中宮崎駅前より境方向

越中宮崎駅前よりヒスイ海岸へ

越中宮崎ヒスイ海岸

脇越中宮崎ヒスイ海岸

国道8号線の名勝案内板
       

次ページは境市街地から越後国境まで、護国寺、境関所跡、市振宿を辿ります。

                            
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史跡・施設の参考資料
富山県歴史の道調査報告書(北陸街道)発行昭和55年(1980)12月10日 富山県教育委員会・富山県郷土史会
地元発行の観光パンフレット、施設の説明表示板、HP等。
富山大百科事典  平成6年(1994)初版発行 発行所 北日本新聞社