三日市の市街地に入り電鉄黒部駅近くに「八心大市比古神社」がある、もと黒部市の萱堂にあったが、大正年間に現在地に遷ったと伝えられている。 八心大市比古神社は明治までは三島大明神と称していた。東西の道をはさんだ神社北に「三島の化藤」と称される大藤が欅の巨樹におおいかぶさり、そ の欅の根元には地神塚がある。 三日市は寛永16年(1639)に宿場となったが、当時は、東西にわたって、巾五間半の道路を開き、中央に用水を通し、左右に宿並の家造りの 地割りをし、市街の中部に寺院・脇本陣・御旅屋を配置した計画的な都市であった。今も天明2年の「三日市駅再絵図」に見える形態を保つ。三日市 には、その名にも知られるように定期市が開かれ三・八の日を市日とした。 東三日市駅前の「黒部市民会館」の敷地は、常世の勧請によって創建されたと伝えられる天神社のあった箇所。三島町、寺町、大町、下町と進むが、 寺町の徳法寺の門前には「親鸞聖人の御腰掛石」がある。近くには黒部市指定天然記念物「旧三日市小学校の百年桜」がある。旧三日市小学校の跡地 に黒部市役所が建ち市役所の敷地内にある。 旧北陸道は長屋、舌山、若栗、浦山、下立、愛本へと進み、現在は非常に数少なくなっている街道松を見ることができる。法伝寺の参道口に正面に 「富山市西町元標・十里七町三十九間」左面には「下新川郡舟見町・一里十八町四十八間」「下新川郡三日市町1里二十六町十間」裏面には「明治四十 二年建立・昭和四九年復元」と書かれた里程標がある。旧下立小学校の隅には笠塔婆と丸彫地蔵などがコンクリートの基壇上に並んでいる。いずれも 旧街道脇から遷されたものであろう(資料記載)。 下立地区は、江戸時代からの行事、家の繁栄、幸福を願うさい、前年の11月におおべつさま(恵比須さま)を迎え、1月20日に送り出すという 「おおべつさま送り」という風習、それに妊婦の死を弔う鎮魂じゅ術や流灌頂の風俗が、明日にかけての禅宗や真言宗の檀家に見られる(資料記載)。 愛本橋は古くから黒部川の渡河点として、交通の要地であったが、寛文3年(1662)に加賀三代藩主前田綱紀の英断によって初めて架橋されたが、日本三奇橋の一つとうたわれた刎橋(はねばし)だった。宇奈月麦酒館となりの宇奈月学友館には愛本刎橋の1/2模型が展示されている。 愛本橋より上流側に愛本堰堤がる。度々水害の影響を受けていた用水の取水口を1カ所に集める合口堰堤で、初代の堰堤は1932年に現在の堰堤 の150m下流に造られた。1969年の大水害で大きな損傷を受け、1972年3月に現在の堰堤が完成している。 愛本堰堤の歴史と概要 愛本刎橋は次の「黒部市愛本−越後国境」に記載。 |
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八心大市比古神社 |
八心大市比古神社北側大欅 藤が絡みついている |
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八心大市比古神社の大欅根本 |
絡みついている藤の根本 「三島の化藤」と称される大藤 |
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大欅根の説明板 |
八心大市比古神社境内から大欅 境内が県道124号線で分断された |
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八心大市比古神社拝殿 |
拝殿側から鳥居 |
絡みついている藤の様子 |
大欅の鳥居 |
辻徳法寺本堂 |
辻徳法寺の親鸞聖人像 |
親鸞聖人像 |
親鸞聖人の御腰掛石 |
富山地方鉄道電鉄黒部駅 |
黒部市民会館 |
黒部市民会館裏の天神社跡石碑 |
天神社遺跡石碑 |
旧三日市小学校の百年桜 |
旧三日市小学校の百年桜説明板 |
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旧三日市小学校の百年桜 小公園になっている |
黒部市役所 |
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富山地方鉄道栃屋駅付近の往還松 |
富山地方鉄道栃屋駅 |
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栃屋の法伝寺 |
浦山の法伝寺 |
浦山の法伝寺参道前の里程標 |
富山市西町からの道程が刻印 |
浦山の法伝寺口より黒部市街地方向 |
浦山の法伝寺口より宇奈月温泉方向 |
JP宇奈月浦山郵便局 |
黒部市生涯学習文化スクェア |
県道14号線旧道のポケットパーク |
ポケットパーク前のます寿司屋 |
ます寿司屋前の地蔵尊堂 |
地蔵尊堂手前から宇奈月温泉方向 |
下立小学校跡地 黒部市立下立公民館 |
下立公民館前の下立小学校 |
旧下立小学校体育館 |
村社下立神社拝殿 |
史跡流灌頂 |
史跡流灌頂 |
史跡流灌頂説明表示板(拡大) |
石仏・小堂 |
旧北陸道直進 右は宇奈温泉 |
愛本橋手前の伝説の史跡粕塚 |
伝説・史跡粕塚の説明板 |
愛本橋手前の愛本姫社 |
黒部川左岸堤防道路から県道13号線愛本橋 |
愛本堰堤と川の灯台 |
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黒部市立うなづき学友館 |
愛本堰堤の歴史と概要 (拡大) |
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愛本橋を潜る旧北陸道 |
下立集落より愛本橋 |
愛本堰堤上流の関西電力愛本発電所 |
愛本橋より下流の黒部川 |
旧北陸道は、「愛本橋」、を渡り、舟見街道を進んで境越後国境まで進むことになります。 歴史街道旧北陸道メインページヘ 資料 富山県歴史の道調査報告書(北陸街道) 発行 昭和55年(1980)12月10日 富山県教育委員会・富山県郷土史会。 地元発行の観光パンフレット、施設の説明表示板、HP等。 富山大百科事典 平成6年(1994)初版発行 発行所 北日本新聞社。 市町村合併について 富山県の市町村合併(2005年 4月)で富山市・大沢野町・大山町・八尾町・婦中町・山田村・細入村は現在富山市。 富山県の市町村合併(2005年11月)で福岡町は現在高岡市、大門町・大島町・小杉町・下村・新湊市は現在射水市。 富山県の市町村合併(2004年11月)で、福光町・福野町・城端町・井波町・井口村・上平村・平村・利賀村は現在南砺市。 富山県の市町村合併(2006年 3月)で宇奈月町は現在黒部市。 八幡・草島・岩瀬・浜黒崎・水橋は富山市。石動は小矢部市、立野は高岡市、泊・宮崎・境は朝日町 |