高岡市横田町の有磯正八幡宮前から千保川を渡り高岡の町域(明治22年の市制により市域に決定した範囲、高岡の旧市域のこと)の中島町、旅篭
町、通町、御馬出町、守山町、木舟町、小馬出町、坂下町から定塚町までの町域の街道。横田町の有磯正八幡宮前から千保川に架かる横田橋を渡ると
町域の中島町へ入る。

 千保川に横田橋が架けられる以前は長船を連ねた船橋が設けてあり、佐野屋伝右衛門、渋屋治左右衛門、絹屋彦右衛門がそれを管理していたといわ
れる。明和8年(1771年)の地図には横田橋が記されていて千保川が庄川本流であった頃、防御的意味で架橋が許されていなかったのであろうと
のこと。

 千保川を渡ると右手に川巴良(かわら)諏訪神社がある。もとは諏訪社と呼んでいたが、慶応3年(1867)に現在の社名に改めた。 神社の創始
は明らかではないが、慶長13年と伝えられている。境内には樹令約400年の大榎があり神木になっている。旅籠町は今の富山市四方出身の四方屋
宗助が移り住み、宿屋を開いたのが起こりで、富山・四方・放生津等の出身者が次々と移住してきて「宿屋」を経営した町だと言われている。

 現在都市開発整備で昔の面影はまったくないが、伝承では吉崎病院の位置が社浦といわれる宿屋その向かいに宮島という宿屋があったとのことで、
通町は石動街道と戸出往来とが合流する場所の近くであるし旅籠町の旅館、遊廓街に接しているうえに町会所のある二番町の隣でもあったから、高岡
南部の繁華街として栄えていた。大法寺角に高岡市の富山県里程元標(昭和52年復元)。福岡二里拾町拾六間(約9km)、大門一里参町七間(約
4.3km)と記されている。

 旧道は御馬出町交差点を直進すると守山町、木舟町方面へ。高岡郵便局東角、南角(NTT西日本高岡局市外分局)の場所は、当時天野屋伝兵衛の
屋敷で高岡宿駅の本陣であった。守山町には大正期を象徴する建物が残っている。赤レンガ造りの洋風建築で旧富山銀行本店(元高岡共立銀行)交差
点を直進で木舟町へ。木舟町から右折し坂下町へ。

 坂下町市街地から直進すると、その先に高岡大仏が鎮座する鳳徳山大仏寺がある。大仏前の交差点を左折すると高岡古城公園。旧北陸道は高岡古城
公園手前で右折し定塚町へ。JR氷見線の踏切を越えて(市街地を離れ)大野、蓮花寺、枇杷首から庄川大橋へ進むことになります。関野神社は5月
1日の春季大祭に、国指定重要有形・無形民族文化財の御車山(みくるまやま)巡行を執行する社で有名。

サムライ科学者高峰譲吉博士のこと
 高岡市御馬出町に加賀藩典医高峰精一、幸子(旧姓津田・現在の横田町)の長男として誕生。アドレナリンの結晶化とタカジアスターゼの創製で、
世界の医学、薬学に大きく貢献し、化学振興や日米親善に尽くす。
 又、譲吉は次のような提案をしている。急な川の多い富山県は、電源開発に最適の地である。発電所を造って、その電気を利用して高岡で、アルミ
ニウムの製造を行ったらどうだろうか。そうすれば伝統的な鋳物の技術も生きるはずである。
  
(大正7年(1918)5月高岡新報より要訳)


高岡大仏(総高15.85m、総重量65トン)

高岡指定文化財・銅造阿弥陀如来坐像説明板
高岡大仏(高岡市指定文化財) 高岡大仏(高岡市指定文化財) 日本三大仏と称される(奈良・鎌倉と)

関野神社

高岡御車山祭 片原町に7基の御車山が勢揃い 関野神社の祭礼

関野神社鳥居

高岡御車山祭り高岡関野神社境内

有磯神社

横田橋

横田橋からの千保川

吉崎病院

川巴良諏訪神社

川巴良諏訪神社境内の神木 大榎

高峰譲吉博士の銅像

高峰公園の案内板(高峰譲吉博士生誕の地)

高峰公園

高峰譲吉博士の銅像

高峰公園の案内板

高岡郵便局

大法寺前・富山県里程標

御本陣跡 現NTT市外分局

御本陣跡解説板

高岡古城公園大手口

搦手口(からめてぐち)公園名石碑

大手口の高山右近像

大山不動尊御影像の堂舎(定塚町)
       

 2000(平成12)年12月、守山・小馬出・御馬出・木舟町を中心とした 約5.5ヘクタールが国の重要伝統的建造物群保存地区に選定された。町域
の往還道筋は明治中期以前の様相を伝える事物は、ほとんど残っていない。火災復興後にできた土蔵造りの建物群は、当時の人々が考えた耐火建築で
ある。また、高岡商人の経済力を示すものであった(明治33年の火災で町域のほとんどが焼失)。

 土蔵造りのまちの木舟町で、とわけ有名なのが菅野伝右衛門家(国指定重要文化財)、明治期の象徴といった造となっている。2007(平成19)年
度から、この地区の無電柱化工事が進められ(同市御馬出町から小馬出町の約580メートルが対象)、平成24年3月8日、残っていた5本の電柱
が撤去された。(対象区間に約40本の電柱があった)

金屋町(千本格子の家並みと石畳が続く、高岡鋳物発祥の町)
 金屋町は、高岡の開祖加賀藩二代藩主前田利長公により、城下の産業発展を図るため、砺波郡西部金屋から7人の鋳物師が招かれたことに始まる、
高岡の鋳物発祥の地。千本格子の家並みと、銅片の敷き込まれた石畳が、美しいたたずまいをみせている。

高岡の夏の風物詩「高岡七夕まつり」8月1日〜7日まで
 高さ約15メートルのジャンボ七夕をはじめ約壱千本の七夕が高岡の夏の夜を彩る。



国指定重要文化財菅野家

高岡市土蔵造りのまち資料館

富山県指定有形文化財筏井家

菅野家隣の山町茶屋

森山町の赤レンガの銀行 元富山銀行(旧高岡共立銀行)

守山町通り

守山町通り

木舟町通り

高岡市山町筋防災施設

小馬出町通り

小馬出町の梅田呉服店

小馬出町の荻野佛壇店

黒漆喰土蔵造りの鈴木家

木舟町の塩崎利平商店

     

山町ヴァレー

山町ヴァレー奥の蔵

山町ヴァレー奥の蔵

山町ヴァレーのホール・座敷

山町ヴァレーの座敷

テナントが入る前の蔵内部

千本格子と石畳の続く高岡鋳物発祥の町金屋町

千本格子と石畳の続く高岡鋳物発祥の町金屋町

金屋町通り 利三郎付近

高岡市鋳物資料館

大寺幸八郎商店

旧南部鋳造所のキューポラと煙突

千保川に架かる鳳鳴橋

鳳鳴橋に設置される鳳凰像

鋳物資料館無料エリアの展示品

旧南部鋳造所のキューポラ

踏鞴と鞴の踏板

展示品の釜

前田利長公の兜など鋳造した

磨きが終わった銅製の火鉢

高岡市夏の風物詩「高岡七夕まつり」 末広町電停からドラえもんトラム

高岡市夏の風物詩「高岡七夕まつり」 大きな提灯

高岡市夏の風物詩「高岡七夕まつり」・夕暮れの末広町

高岡市夏の風物詩「高岡七夕まつり」・夜の末広町

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歴史街道 旧北陸道へ


資料
富山県歴史の道調査報告書(北陸街道)発行昭和55年(1980)12月10日 富山県教育委員会・富山県郷土史会・地元発行の観光パンフレット、施設の説明板、
HP等。
富山大百科事典  平成6年(1994)初版発行 発行所 北日本新聞社

市町村合併について
福岡町は現在高岡市、門町・大島町・小杉町・下村・新湊市は現在射水市です。
富山県の市町村合併(2004年11月)で、福光町・福野町・城端町・井波町・井口村・上平村・平村・利賀村は現在南砺市。
富山県の市町村合併(2006年 3月)で宇奈月町は現在黒部市です。
八幡・草島・岩瀬・浜黒崎・水橋は富山市、石動は小矢部市、立野は高岡市、泊・宮崎・境は朝日町です。