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大手口から駐春橋を望む |
本丸広場 |
西外濠池の端を行く遊覧船利常号 |
西外濠の遊歩道から池の端町と本丸の桜 |
大手口から駐春橋を望む |
西外濠を行く遊覧船利常号から本丸の桜 |
市立博物館前から西内濠の紅葉 |
中の島から本丸の紅葉 |
市立動物園前の西内濠を行く遊覧船利常号 |
朝陽橋の紅葉 |
本丸広場の前田利長公銅像 |
前田利長公高岡城入城行進 俳優の勝野洋さん他 |
山右近像(キリシタン大名であり築城の名手) |
高岡城石垣(西内濠) |
高岡城石垣(西内濠) |
駐春橋から射水神社方向 |
梅林前の紅葉 |
中の島の紅葉 |
市立動物園前から本丸の紅葉 |
市民部の井戸(市民体育館近く) |
本丸広場に展示の高岡城石垣の石 |
高岡市博物館(大手口近く) |
博物館に展示の高岡城石垣の石 |
射水神社 |
射水神社拝殿 |
市民体育館 |
さくら名所100選の地石碑 |
市立動物園 |
市立動物園のフンボルトペンギン |
朝陽の滝 |
朝陽橋 |
お濠めぐり遊覧船のぼり旗 |
遊覧船利常号 春 |
遊覧船利常号 夏 |
遊覧船利常号 秋 |
中の島の東屋・緑翠亭 冬 |
中の島の東屋・緑翠亭 春 |
中の島の東屋・緑翠亭 夏 |
中の島の東屋・緑翠亭 秋 |
高岡市護国神社 駐春橋を渡って右手 |
市民体育館前のSL C11 217 |
大手口の高岡古城公園碑 |
小竹藪駐車場口の高岡古城公園碑 |
国宝瑞龍寺・前田利長公墓所 旧北陸道は、高岡の町域(明治22年の市制により市域に決定した範囲で高岡の旧市域)の中島町・旅篭町・通町・御馬出町・守山町・木舟町・ 小馬出町・坂下町から大仏前を左折、大手町・定塚町まで辿った。 国宝高岡山瑞龍寺を訪ねて(高岡市関本町35) 曹洞宗高岡山瑞龍寺は、加賀藩二代藩主前田利長公の菩堤をとむらうため三代藩主利常公によって建立されたお寺。利長公は高岡城を築城し、こ の地で亡くなった。加賀百万石を譲られた異母弟利常は、深くその恩を感じ、時の名匠山上善右衛門嘉広をして七堂伽藍を完備し、広山恕陽禅師を もって開山とされた。 造営は正保年間から、利長公の五十回忌の寛文三年(1663)までの約二十年の歳月を要した。当時、寺域は3万6千坪、周囲に濠をめぐらし、 まさに城郭の姿を想わせるものがあった。 平成9年12月23日、山門、仏殿、法堂が国宝に指定された。また、総門、禅堂、大庫裏、回廊、大茶堂が国の重要文化財に指定されており、 江戸時代を代表する禅宗寺院建築として高く評価されている。 武将の墓では日本最大の前田利長公墓所を訪ねて。前田利長公墓所説明表示板(拡大) 加賀藩二代藩主前田利長公(1562〜1614)は関野に新しい城を築き、街づくりを進めて「高岡」と命名、この地で亡くなった。利長公を 敬愛していた異母弟の三代藩主利常公(1593〜1658)が三十三回忌までに建立した壮大なお墓。当時は五万余坪(現在は一万平方メートル) の敷地に墓守寺を配置、墓碑は豪壮な戸室石の基壇を含めて高さ十二メートルの偉容を誇る。 高岡市の国指定史跡の前田利長公墓所に「たたら吹き」と呼ばれる高岡銅器の伝統技法で造られた銘板が墓所入口に設置された。銘板は縦1メートル、 横30cmの大きさで「国指定史跡加賀藩主前田家墓所」「前田家墓所」の文字が刻まれた二枚が製作された(2009年12月21日お披露目式)たたら吹きの高岡銅器の伝統技法で製作された銘板写真(黄緑文字写真説明文)追加。 |
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総門(重要文化財) |
総門から山門(国宝) |
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仏殿(国宝) |
仏殿の釈迦如来、普賢菩薩、文殊菩薩の釈迦三尊像 |
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山門から法堂(国宝) |
法堂内 |
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総門前の瑞龍寺沿革 |
総門前の瑞龍寺伽藍配置図(拡大) |
総門(重要文化財) |
山門(国宝) |
仏殿から法堂(国宝) |
鉛瓦の仏殿(国宝) |
大庫裏(重要文化財) |
禅堂(重要文化財) |
大茶堂(重要文化財)の竈 |
禅堂(重要文化財)の木魚 |
鐘楼 |
北回廊鐘楼側 |
境内に前田家・織田家の石廟 |
瑞龍寺・八丁道第一観光駐車場(無料) |