高岡城跡・高岡古城公園
 加賀藩二代藩主前田利長公は、慶長10年(1605)、家督を弟の利常公に譲り、富山城に移り住んだ。しかし、慶長14年(1609)、富山
城が焼失。利長公は、幕府に居城を高岡に移すことを願い出、当時関野と呼ばれていた高台に新しく城をつくることにした。

 設計は、キリシタン大名であり、築城の名手として有名な山右近といわれ、自然の地形を活かして堅固な城を築きました。利長公は、詩経の一節
からこの地を高岡と名付け、同年9月に高岡城に入城する。その5年後、利長公は死去。城は翌年一国一城令により廃城となった。

 三代利常公は、利長公の意をくみ、米蔵や塩倉を城の跡に置き、高岡を物資の集積地としました。こうして、城下町から商工業のまちへと転換した
高岡は、百万石の台所として栄える。

 高岡古城公園(高岡城跡)は、3つの水濠に囲まれており、その面積は全体の3分の1をしめる。加賀藩は、城の実質的な保全を図ったため、濠は
ほとんど築城時のままに残っている。このため、高岡古城公園は、人工的な手が加えられていない自然公園であり、また豊かな水をたたえた水濠公園
であることが特徴となっている。

 旧北陸道の道筋の、高岡市街地中心部に21万平方メートルの広大な面積をもつ公園。緑の広場、市民会館、博物館、体育館、動物園、芸術の森、
自然資料館、歌碑などがある。

 民部の井戸は高岡城のあった頃、越中の飲水用として数ヶ所に井戸が掘ってあり、そのひとつが体育館横(今枝民部の屋敷があった)にある。築城
当時をしのぶ貴重な遺跡として大切に保存されている。

 高岡古城公園お濠めぐり遊覧船は高岡開町400年を記念に登場した利長号に続き利常号も運行されている。2021年は春桜の4月1日〜5月
5日と秋紅葉の11月6日〜11月28日で運行された。4/19〜/23までの期間は運休。
運行時刻は10時から16時。乗船料金は大人700円、小人(小学生以下)200円、3才未満無料。定員10名(子人3名で大人2名の扱い)。
乗船時間は20〜25分。


大手口から駐春橋を望む

本丸広場

西外濠池の端を行く遊覧船利常号

西外濠の遊歩道から池の端町と本丸の桜

大手口から駐春橋を望む

西外濠を行く遊覧船利常号から本丸の桜

市立博物館前から西内濠の紅葉

中の島から本丸の紅葉

市立動物園前の西内濠を行く遊覧船利常号

朝陽橋の紅葉

本丸広場の前田利長公銅像

前田利長公高岡城入城行進 俳優の勝野洋さん他

山右近像(キリシタン大名であり築城の名手)

高岡城石垣(西内濠)

高岡城石垣(西内濠)

駐春橋から射水神社方向

梅林前の紅葉

中の島の紅葉

市立動物園前から本丸の紅葉

市民部の井戸(市民体育館近く)

本丸広場に展示の高岡城石垣の石

高岡市博物館(大手口近く)

博物館に展示の高岡城石垣の石

射水神社

射水神社拝殿

市民体育館

さくら名所100選の地石碑

市立動物園

市立動物園のフンボルトペンギン

朝陽の滝

朝陽橋

お濠めぐり遊覧船のぼり旗

遊覧船利常号 春

遊覧船利常号 夏

遊覧船利常号 秋
中の島の東屋・緑翠亭 冬
中の島の東屋・緑翠亭 春

中の島の東屋・緑翠亭 夏

中の島の東屋・緑翠亭 秋
高岡市護国神社 駐春橋を渡って右手
市民体育館前のSL C11 217

大手口の高岡古城公園碑

小竹藪駐車場口の高岡古城公園碑

国宝瑞龍寺・前田利長公墓所
 旧北陸道は、高岡の町域(明治22年の市制により市域に決定した範囲で高岡の旧市域)の中島町・旅篭町・通町・御馬出町・守山町・木舟町・
小馬出町・坂下町から大仏前を左折、大手町・定塚町まで辿った。

国宝高岡山瑞龍寺を訪ねて(高岡市関本町35)

 曹洞宗高岡山瑞龍寺は、加賀藩二代藩主前田利長公の菩堤をとむらうため三代藩主利常公によって建立されたお寺。利長公は高岡城を築城し、こ
の地で亡くなった。加賀百万石を譲られた異母弟利常は、深くその恩を感じ、時の名匠山上善右衛門嘉広をして七堂伽藍を完備し、広山恕陽禅師を
もって開山とされた。

 造営は正保年間から、利長公の五十回忌の寛文三年(1663)までの約二十年の歳月を要した。当時、寺域は3万6千坪、周囲に濠をめぐらし、
まさに城郭の姿を想わせるものがあった。

 平成9年12月23日、山門、仏殿、法堂が国宝に指定された。また、総門、禅堂、大庫裏、回廊、大茶堂が国の重要文化財に指定されており、
江戸時代を代表する禅宗寺院建築として高く評価されている。

武将の墓では日本最大の前田利長公墓所を訪ねて。
前田利長公墓所説明表示板(拡大)
 加賀藩二代藩主前田利長公(1562〜1614)は関野に新しい城を築き、街づくりを進めて「高岡」と命名、この地で亡くなった。利長公を
敬愛していた異母弟の三代藩主利常公(1593〜1658)が三十三回忌までに建立した壮大なお墓。当時は五万余坪(現在は一万平方メートル)
の敷地に墓守寺を配置、墓碑は豪壮な戸室石の基壇を含めて高さ十二メートルの偉容を誇る。

高岡市の国指定史跡の前田利長公墓所に「たたら吹き」と呼ばれる高岡銅器の伝統技法で造られた銘板が墓所入口に設置された。銘板は縦1メートル、
横30cmの大きさで「国指定史跡加賀藩主前田家墓所」「前田家墓所」の文字が刻まれた二枚が製作された(2009年12月21日お披露目式)たたら吹きの高岡銅器の伝統技法で製作された銘板写真(黄緑文字写真説明文)追加。


総門(重要文化財)

総門から山門(国宝)

仏殿(国宝)

仏殿の釈迦如来、普賢菩薩、文殊菩薩の釈迦三尊像

山門から法堂(国宝)

法堂内

総門前の瑞龍寺沿革

総門前の瑞龍寺伽藍配置図(拡大)

総門(重要文化財)

山門(国宝)

仏殿から法堂(国宝)

鉛瓦の仏殿(国宝)

大庫裏(重要文化財)

禅堂(重要文化財)

大茶堂(重要文化財)の竈

禅堂(重要文化財)の木魚

鐘楼

北回廊鐘楼側

境内に前田家・織田家の石廟

瑞龍寺・八丁道第一観光駐車場(無料)


大灯籠がある利長公墓所

利長墓所御廟寺の仙寿山繁久寺

武将の墓では日本最大の前田利長公の墓

水蓮が茂る濠に囲まれた利長公墓所

前田利長墓所の瑞龍寺側入口

国指定史跡前田利長墓所説明表示板

八丁道の休憩所 まちの駅たかおか

八丁道途中に前田利長公像

利長公墓所近くの八丁道

八丁道利長公墓所近くの案内板

瑞龍寺近くの八丁道

繁久寺前入口

繁久寺本堂

小竹藪駐車場口の高岡古城公園碑

瑞龍寺近くの八丁道

繁久寺前入口

大手口の高岡古城公園碑

小竹藪駐車場口の高岡古城公園碑
       
旧北陸道は蓮花寺から大門・大島市街地へと進みます。
                                
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資料
富山県歴史の道調査報告書(北陸街道)発行昭和55年(1980)12月10日 富山県教育委員会・富山県郷土史会
地元発行の観光パンフレット、施設の説明表示板、HP等。
富山大百科事典  平成6年(1994)初版発行 発行所 北日本新聞社
備考・6月中旬から7月上旬には前田利長墓所の堀のスイレンの純白の花が見頃。