2023/06/30
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氷見線と同様にJR西日本金沢支社高岡鉄道部が運行している富山県で最も古い鉄道で、中越鉄道株式会社が1895(明治28)年11月に高岡から
砺波平野を貫き、城端までの免許を取得した。当時官営鉄道の北陸線はまだ高岡まで延びてきておらず、高岡駅の位置が未確定であったため、町外れ
の黒田に設けた仮駅から福野まで 17.2kmを1897(明治30)年5月4日に開通させた。次いで福野−福光間、福光−城端間、高岡−黒田間を順
次開業し1898(明治31)年1月2日に高岡−城端間29.9kmが全通した。
 北陸線が高岡まで開通したのは1898(明治31)年11月1日
1920(大正9)年9月1日に氷見線とともに国有化され中越線となったが、後
に城端線、氷見線、新湊線と改称されている。1987(昭和62)年4月1日にJR西日本城端線となり現在に至っている。全線単線の非電化でキハ
40形、キハ47形気動車で運行されている。
 駅は、高岡(たかおか)
二塚(ふたつか)林(はやし)、戸出(といで)
油田(あぶらでん)砺波(となみ)東野尻(ひがしのじり)、高儀(たかぎ)福野
(ふくの)
東石黒(ひがしいしぐろ)福光(ふくみつ)越中山田(えっちゅうやまだ)城端(じょうはな)の13駅で営業キロ数は29.9km。
運賃は32.9kmの換算運賃が適用される。

 政府の整備新幹線問題調整会議が2010年3月25日に国土交通省で開かれ、JR西日本の佐々木隆之社長が氷見線や城端線など北陸線の枝線の
利用者が大幅に減少しているデータを提示し「地方ローカル線問題は大きな経営課題。対処方針を考えていきたい」と指摘した。佐々木社長は、枝線
の存廃も合め、自治体や地域住民らと意見交換していきたいとの意向を示した。
 JR西日本が会議で示したデータは、北陸線と枝線6線の1988(昭和63)年と2008(平成20)年の利用者数を比較しており、城端線は40
%減、氷見線は約50%減などと軒並み半減している。
 佐々木社長は会議後、枝線について「ローカル線をどうするかは経営の問題の一部」と前置きした上で、地域によっては、鉄道からバス路線に切り
替えた方が利便性が高まる可能性があると指摘。
そういうことを合め、交通をどうしていくのがいいのか地域と話をさせてもらいたいと述べている。
 城端線・氷見線を巡っては、富山県、JR西日本、沿線市が2022年度末に、今後の活性化に向け、新型鉄道車両を導入する方針を決定。交通系
ICカーへの対応や直通化といったさらなる利便性向上策と合わせ、2023年度に検討会をつくって詳細を話し合うことにしている。
 新田八郎知事は、地域交通の再構築を支援する新たな国の補助メニューを財源として活用する方針を改めて示している。補助要件として、持続可能
な路線を目指す「事業実施計画」の策定と国交相の認定が必要と説明。4月には北陸信越運輸局長に対して協力を求めたと報告した。

 城端線沿線は砺波までは人口密度が高く、富山ライトレール同様新駅を造ることにより、集客が見込め収支改善の可能性がある。早期に実現する場
合はあいの風とやま鉄道や富山地方鉄道が運行主体とならないと難しい。JR西日本が利益を生まない路線に、巨額の投資をすることは考えられない。
第3セクター化を拒否すれば廃線も考慮する必要がある。

 
南砺市は県道の改良により金沢市とのアクセスが格段に良くなっており、敦賀開業で、増々金沢駅の利用が多くなる。
 

 
高岡駅
 たかおか  北陸の駅・高岡駅
    高岡駅の1番南側にある、1番線、2番線から城端線は発着する。北陸線より先に中越鉄道が先に開業したため、中越鉄道が発着した南側から番号
が付られている。城端線ホームの東側に車両基地の富山地域鉄道部高岡運転派出がある。出発した列車は左へ大きくカーブして、あいの風とやま鉄道
線と別れ、約3分で最初の駅、新高岡に到着する。
 2015年に駅は、あいの風とやま鉄道に移管され、氷見線の乗車券はあいの風とやま鉄道の券売機や窓口で購入する。


  

1番ホームとキハ40形城端行き

2番線のキハ47形

富山地域鉄道部高岡運転派出
 

新高岡駅 しんたかおか  北陸の駅・新高岡駅
 2015年3月14日に北陸新幹線連絡駅として開業した、城端線では、この駅のみICOCAに対応している。駅前にイオンショッピンセンター
や高岡スポーツコアがあり、中、高校生の利用も多い。国宝瑞龍寺までは 約1.5kmで道路に道案内がペイントされている。


   

新高岡駅ホーム

発車したキハ47形城端行き

北陸新幹線W7系金沢行き
  

二塚駅 ふたつか  北陸の駅・二塚駅
 中越パルプ二塚工場があり、貨物輸送が行われていたが、2015年9月30日に高岡貨物駅へのトラック輸送に切り替えられ貨物輸送が廃止とな
り、JR貨物に駅業務を委託していた二塚駅は無人駅となった。乗降客は少なく、城端線新高岡駅の開業で更に少なくなった。駅から約800mの所
に、この地へ流刑後、殺された後醍醐天皇の皇子の墓がある。


    

跨線橋からホーム

到着する47形高岡行き

発車したキハ47形高岡行き
  

林駅 はやし  北陸の駅・林駅
 国鉄時代からの無人駅で機関車牽引の客車列車は通過していた。駅の所在地名は東藤平蔵(ひがしとへいぞう)というが、この辺の集落では林という
名字が非常に多く、高岡市で最も多い名字も林。


   

駅入口からホーム

二塚駅側端からホーム

車発車したキハ47形城端行き
  

戸出駅 といで  北陸の駅・戸出駅
 JR西日本の合理化で無人化されることになっていたが、高岡南高校の生徒が多く利用するため、高岡市と地元協議会の支援で無人化を免れた。
 7月には七夕まつりが行われ大勢の人で賑わう。富山県立高岡南高校は駅から約700mのところにある。駅前には観光案内所を併設した戸出ジェ
ラートがある。


  

戸出駅舎

戸出駅ホーム

到着するキハ47形城端行き
  

油田駅 あぶらでん  北陸の駅・油田駅

 
この駅から砺波市で付近は4車線の国道156線が近くを併走し、列車の利用者はほとんどが高校生。ゴールデンウイーク前後にはこのあたりから
チューリップ畑が見られる。かつては行き違い可能駅だったが、現在は片面ホームの無人駅となっている。
 駅前に若鶴酒造本社があり、入口にある大正11年に建てられた『大正蔵』が同社の創業150周年記念行事で2012年末に改修された。若鶴酒
造本社では毎年、5月に若鶴蔵祭りが開催される。


   

油田のかわいい駅舎

ホーム

到着するキハ40系城端行き
  

砺波駅 となみ  北陸の駅・砺波駅
 砺波地方の中核都市砺波市の代表駅で立派な駅舎であるが利用者は少ない。道路事情が良くなって砺波地域は富山県で最も車社会が進んでいる地域
である。毎年ゴールデンウイークにはチューリップフェアがおこなわれ、この時だけは観光客で賑わう。ここも利用者のほとんどが高校生。駅から約
700mのところに富山県立砺波高校がある。


   

砺波駅南口

砺波駅ホーム

到着するキハ47形城端行き
  

東野尻駅 ひがしのじり  北陸の駅・東野尻駅
 北陸自動車道が近くを通り、約2qのところに富山県立砺波工業高校がある。片面ホームの無人駅で駅舎はない。砺波駅側に北陸自動車道が見える。


   

片面ホームの東野尻駅

高儀駅側からホーム

発車したキハ47形城端行き
  

高儀駅 たかぎ  北陸の駅・高儀駅
 国鉄規格の簡易駅舎は改修されている。砺波市と南砺市の境界にあるが、所在地は南砺市となっていて、ここから終点城端まで南砺市。かつては行
き違い可能駅だった。反対側には蒸気列車時代の低いホームが残っている。無人駅で駅前には駐車場と駐輪場がある。この付近には屋敷林(かいにょ)
で囲まれた散居が見られる。


    

簡易駅舎

ホーム

到着するキハ47形高岡行き
  

福野駅 ふくの  北陸の駅・福野駅
 JR西日本が無人化した際に地元のタクシー会社が役務を受託して無人化を免れている。駅舎の一部はタクシー会社の営業所となっているホームは
相対式で跨線橋も新しい。かつては加越能鉄道加越線への乗り換え駅だった。 駅から約500mのところに富山県立南砺総合高校福野高校がある。
 福野高校の前身は富山県立農学校で最初の校舎は福野出身の建築家吉田鉄郎氏が設計した。初代の校舎は新校舎建設時に移動して巌浄閣として保存
され、1997年5月に国指定の重要文化財となった。平日の10時から15時に一般公開されている。


     

福野駅舎

福野駅ホーム

発車したキハ40形観光列車
   

東石黒駅 ひがしいしぐろ  北陸の駅・東石黒駅
 高岡からは小矢部川の支流の山田川を渡り東海北陸自動車道をアンダークロスすると東石黒に到着する。福野−福光間は城端線と県道20号線が平
行している。付近に東石黒という地名は見あたらないが、東石黒郵便局がある。片面ホームの無人駅。


    

東石黒踏切からホーム

ホームと待合室

発車したキハ47形城端行き
  

福光駅 ふくみつ  北陸の駅・福光駅
 JR西日本が無人化した際に地元の旅行代理店が役務を受託して無人化を免れている。駅舎の一部は旅行代理店の営業所となっているホームは相
対式で跨線橋がある


   

福光駅舎

福光駅ホーム

発車したキハ47形城端行き
  

越中山田駅 えっちゅうやまだ  北陸の駅・越中山田駅
 城端線と平行していた国道304号線は越中山田駅付近では離れている。近くを東海北陸自動車動が通っている。最初から片面ホームの無人駅。


   

山田小学校踏切からホーム

ホームの待合室

到着するキハ47形城端行き
  

城端駅 じょうはな  北陸の駅・城端駅
 城端駅は駐泊列車があるため、駅業務は南砺市観光協会に委託されている。ホームは長らく片面ホームだったが新しく追加され相対式になったが現
在は行き違い発車と早朝の城端駐泊列車の折り返しに使用されている。平日は城端始発と次発の2本の列車が駐泊している。
  城端の町並みは駅から南へ坂を登った高台の上に開けている。街の入り口には浄土真宗東本願寺派(大谷派)の城端別院善徳寺があり毎年9月15
日に、むぎや祭りが行われていたが敬老の日の前日の日曜日と前々日の土曜日に行うように変更になった。
 麦屋節は能登麦屋節が伝わったものとされる。むぎや祭りに訪れるのは、ほとんどが富山県西部の人々で、おわら風の盆のように全国から大勢の人
が訪れ、町民が迷惑するようなことはない。多くの駐車場が用意されており城端線で訪れる人は少ない。
 情緒ある城端の曳山祭りは毎年、5月14、15日に行われていたが
2006年からは大型連休期間中の5月4日5日に変更された。2005年
に麦屋踊りなどを上演する400人収容のホールじょうはな座も建設された。曳山は通年曳山会館で見ることができる。城端の曳山はお囃子の人が入
る屋台が一緒に曳き廻されるのと、曳山宿の人が軒先に正座して曳山を迎えるのが特色である。


    

城端駅舎

ホーム

停車中のキハ40形高岡行き